嫉妬学(2)~寄り添う姿勢と上から目線、同質性が差別を生み出す

<前回>

 社会心理学者セルジュ・モスコヴィッシがいう。

 「人種差別は逆に同質性の問題だとわかる。私と深い共通性を持った者、私と同意すべきであり、私と信条を分け合うはずの者との間に見いだされる不和は、たとえ小さくとも耐えられない。その不一致は実際の度合いよりもずっと深刻なものとして現れる。差異を誇張し、私は裏切られたと感じ、激しい反発を起こす。それに対して私とまったく異なった者に対峙する時、我々を分け隔てる、越えることのできない溝に対して注意を向けることさえないだろう。つまり我々に耐え難いのは差異ではない。我々の同質性と繋がりなのである」

 社会がフラットになればなるほど嫉妬の総量が増える。日本人の「みんなが一緒」という常識は、嫉妬の情念を生み出す元である。戦後の高度成長期では、富の総量が増える中、平等な分け前を与えていれば、問題が出てこない。しかし、時代が変わり、富の総量が増えずに、あるいは目減りする社会となると、フラットであるはずの社会から嫉妬が噴出する。

 社会がフラットではなかったのだ。フラットであるはずがない。戦後の時代は歴史の中でもたまたまの出来事に過ぎない。日本社会における上位集団が認められてきたのは、資源の総量があって、かつ下位集団――これまで中流と捉えられてきた――に平等に分け前を与え、そして上位者らしく振る舞うという3つの条件が前提となる。

 だが、条件1と条件2が崩れた。すると、条件3が余計に目立ってしまう。上位者らしく振る舞うとは、「らしくない言行」がタブー。政治家やらタレントやら上位者の人たちは、一般庶民に比べて能力や才能の差異が大き過ぎて――単なる思い込みに過ぎないが――比較対象にならないところ、羨望や嫉妬よりも、その異質性から尊敬の念しか生まれない。

 その尊敬の念を維持するうえで、上位者には清教徒以上の禁欲や倫理的言行が求められる。その条件が崩れると、上位者と下位者の距離(上位者の落下)が一気に縮まり、たちまち同質性が露出し、激しい嫉妬と反発が招かれるのである。倫理的言行とは、常に「下位者に寄り添う」ことが求められ、「上から目線」をちらつかせないことだ。

 モスコヴィッシいわく「差別は同質性の問題だ」というパラドックス(逆説)がこうして成立するのである。

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