バリ日記(5)―「ブンガワン・ソロ」と「南京!南京!」

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23129バリ・ダンサーたちと記念撮影

 ケチャケチャ、ケチャケチャ・・・

 南国の神秘の夜空と心地よい潮風に包まれるビーチに、バリ伝統の踊りがクライマックスを迎えようとする・・・

 踊りが終わると、歌が始まる。ギター2名と歌手1名のバンドがレストランのテーブルからテーブルへ移動しながら歌を歌う。私たちのテーブルにやってきて、歌ってくれたのは、インドネシアの名曲「ブンガワン・ソロ」。

23129_2日イ友好の「ブンガワン・ソロ」を熱唱

  ブンガワン・ソロ 果てしなき
  流れに遠き 昔を聞かん
  照りつける 太陽に
  雨繁き 濁流に
  舟を浮かべて 村より町へ
  町より島へ 商いする
  ソロの流れ 果てしなく
  古き夢をのせ 流れゆく

 「ブンガワン・ソロ Bengawan Solo」は、ジャワ島の最長の大河であるソロ川を意味するが、クロンチョンの代表曲のタイトルでもある。このソロ川は雨季には水があふれるが、乾季になるとほとんど枯渇してしまう。「ブンガワン・ソロ」では、大自然の不思議さとともに、そこで生きる人々の故郷、母なる大河への想いが歌われている。

 「ブンガワン・ソロ」は第二次世界大戦中、ジャワに侵攻した日本兵の心をとらえた名曲でもある。戦後に松田トシ氏が日本語詞をつけてレコーディングし、日本で最もよく知られる東南アジアの流行歌となった。「ブンガワン・ソロ」の作詞・作曲者として知られるグサン・マルトハルトノ氏は、日本軍の慰問団として各地を巡演し、80年代にグサン基金協会を設立し、元日本兵らとの交流も続けていたという。

23129_3バリの踊り

 「最も親しかった元日本兵の友人はもう亡くなってしまった。しかし、ブンガワン・ソロが好きになり、わざわざソロの自宅まで私に会いに来てくれる日本人もいる。インドネシアと日本の友好のシンボルとして、若い世代の日本人たちにもブンガワン・ソロを歌い継いでいってほしい」と、氏が熱く語る。

 戦争は無情だが、各地の戦場では無情な戦争だからこそ、様々人間と人間のドラマが生まれ、ロマンが歌われ、やがてそれが文化となり、後世に受け継がれてゆく。しかし、もし、グサン・マルトハルトノ氏が中国人だったら、多分「漢姦」(売国奴)で叩き潰されていることだろう。そういう意味では、インドネシアは中国よりはるかに包容力があるといえる。

 最近、映画「南京!南京!」の試写会では、日本人俳優に対し、「日本帝国主義打倒!」や「バカ!」といった罵声が客席の一部から飛ばされる場面があった。だが、「彼らは尊敬すべき人たちだ!」という声がはるかに多くの観客から上がり、会場は拍手に包まれる感動の一幕があった。中国国民にとっても、インドネシア国民にとっても、そして日本国民にとっても、あの戦争は自らの意思によらないものであった。一人一人の人間は、戦争の苦難に耐えながら葛藤、恐怖、痛苦、希望、夢そして愛に満ちた人間模様がある。それは正義でもなければ邪悪でもない。ただの人間模様だからこそ美しい。

23129_4「ブンガワン・ソロ」の旋律に乗せられ、バリの夜が更けてゆく

 中国人にとってこれから必要なものは、寛容と自信である。寛容と自信は美しい。これこそ、真の大国の台頭である。

 「ブンガワン・ソロ」の美しい旋律に乗せられ、バリの夜が更けてゆく。

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