侵略はとにかく悪!弱者同情支援の情熱はこうして冷めていく

 「侵略はとにかく悪」という論理は、「法」に基づく論でもなければ、「理」に基づく論でもない。単なる「情」の発露にすぎない。何事も「法・理・情」という3つの次元に分けて考えるべきだ。

 まず、「法」。いわゆる侵略を含めた戦争は、国際法に禁止されていない。戦時法そのものが戦争を前提につくられた法である。ジュネーヴ条約とは、戦時国際法としての傷病者や捕虜の待遇改善のための国際条約である。アメリカによる侵略戦争が今まで何回あったか、数えてみればいい。

 次に、「理」。法の次元を超えて、戦争の合理性となると、当事者によっては異なる解釈が出てくるわけだ。当然だろう。解釈が一致していたら、そもそも最初から戦争にならなかった。そこは利害関係だけでなく、プロパガンダの世界になり、事態が一気に複雑化する。

 最後に、「情」。これは大方の日本人の得意分野だ。戦争の惨状を見て嘆き、死者や被害者たちに同情し、「侵略はとにかく悪」とまで叫ぶ。では、被害者支援のお金をたくさん出そう、難民をどんどん受け入れようとなると、大方が渋る。口先だけの支援はタダだが、利益に絡んでくると話は違う。これは要するに経済的合理性、つまり「理」の世界に変わるわけだ。

 「同情するなら金をくれ!」は1994年、日本テレビ系で放送されたドラマ「家なき子」で有名になったセリフだ。同情心(情)よりも経済的合理性(理)という典型的な事例である。

 「情」と「理」の関係は面白い。戦争勃発初期、「情」が火山噴火のように湧き上がっても、時間が経つにつれて情は徐々に冷めていき、「理」が優位に変わる。人間とはそういう動物なのだ。善悪はない。客観的事実である。

 合理性を語られると、都合が悪いという者も存在する。多くの商売は、人間の「情」を利用している。メディアとか評論家とか、よく「煽る」といわれるが、それは「煽られたい」顧客がいるから、商売が成り立つわけだ。「煽情」とは、「情を煽る」ことだ。

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