若者には不公平な時代だ、彼たちは新武器を入手

 若者にとって大変不公平な時代だ。

 私は80年代後半大学を卒業する頃には、毎日家に帰ると、郵便ポストは就職勧誘の企業郵便物でいっぱいだった。リクルーターと名乗る企業の先輩たちから声をかけられて企業訪問をし、企業から接待を受けたり、旅行に連れていかれたり、ヘリコプターに乗って企業の工場見学に行ったり、王様のようだった。

 悪いことさえしなければ、頑張っているふりさえしていれば、誰もが生涯の糧を手に入れ、食うのに困ることはまずなかった。私が生意気で上司と喧嘩して会社を辞めたのは、2000年。脱サラして起業したのだが、その当時、ビジネスチャンスはすでに減り続けていたが、必死にやればまだ何とかなれたのだった。

 しかし、2010年以降は様相が一変した。あらゆる市場、そしてグローバル化が限界を迎えつつ、ITが人から仕事を奪い始めた。国家もそうであるように、21世紀に入って、先進国入りの道はほぼ閉ざされた。つまるところ、成長や発展といった言葉は死語になったのである。個人にとっても、国家にとってもだ。

 新自由主義というが、ここまで来てそもそも競争ルールの公平性が保たれない中、競争メカニズムも機能不全になりつつある。成長なき世界では、既存資源の争奪戦にほかならない。少数が大多数を支配する構図の下で、支配の形態は変わらざるを得ない。それは被支配者層の相互闘争を仕掛けるしかない。

 民主や自由、人権といった美辞麗句、ポリコレが嫉妬心を燃やすには都合のよい燃料だ。この世には、差別云々で人々は日々互いに闘争している。これまでに見たこともない戦いが世界のあちこちに繰り広げられている。国家間も同様。戦争が絶えない時代になるだろう。

 暴力革命は昔の時代に可能だったが、超・情報化時代になり、ビッグデータを掌握している国家は革命の芽を簡単に摘み取ることができる。

 考えてみると、今の若い世代は本当に気の毒だと思う。しかし、彼たちはすでにある武器を手に入れた――寝そべり。中国発の「躺平(タンピン)主義」、寝そべり主義とは、若者が社会活動を忌避し、家を買わない、生命維持以上の消費をしない、結婚しない、出産しないという「ないないライフスタイル」である。

 これは、一種の非暴力不服従であり、それが大量化すればするほど、現代経済社会にダメージが大きい。砲煙のない戦争である。ドンパチもあれば、寝そべりもある。世界は戦争の時代に突入した。

タグ: