万博雑談(2)~「百年一度」の罠

<前回>

 上海万博は成功で終わるのか、失敗で終わるのか、着目点が異なれば結果も異なるだろう。

 まず、来場者数はここ数日10万人前後で低迷している。労働節の連休3日間でも、平均来場者数はわずか18万人。まだ、これからとはいっても、会期184日間で7000万人(一部のメディアでは、7000万人から1億人とも言っている)という予期目標に届くかどうか、暗雲が漂い始めた。

 なぜ、7000万人という数字があったのだろうか。来場者最多の大阪万博(1970年)の6420万人の記録を塗り替えようという意図が見え隠れする。史上最大の参加国・地域数、史上最多の入場者数・・・中国はこれを万博の成功の証と見ているだろう。北京五輪と並び、万博開催は「中華民族百年の夢」と位置づけられている。

 「百年の夢」、「百年一度の大地震」、「百年一度の干ばつ」、「百年一度の金融危機」、「百年一度の機会」から、「百年の孤独」と酒まで名づけられる・・・最近、「百年」という言葉は濫用されている。中国も日本も同じ。「百年一度の良いこと」なら、当局者のお手柄になる。「百年一度の悪いこと」であれば、不可抗力で免責になるだろうし、それを挽回した場合、またもやお手柄になる。だから、「百年一度」やら「未曾有(みぞう)」といった言葉が無節操に濫用されている。

 「百年の夢」は、実現すれば素晴らしいが、敗れたら最悪。胡錦濤主席は、「万博を必ず成功させろ」と号令を発している。地方の役人たちには、プレッシャーが半端ではない。無料券を配布したり、あの手この手使って来場者数を引き伸ばそうとしている。

 前回も言ったように、40年前の大阪万博と40年後の上海万博、時代が大きく変わった。単純比較には意味がない。バラ色の未来に無限の期待を抱く70年代初頭の日本人といまの中国人、単純比較できるはずがない。時代が変わった。人間はより冷静になり、「祭り」の効能も相対的に低下している。だから、来場者数にこだわる必要がないのだ。

 中国はどうしても、「史上最大」「史上最多」を好む。なぜか、いつも「量」に走る中国。「量」よりも「質」とはいうが、「質」よりも「量」が評価しやすい。誰から見ても認めるのは、「質」ではなく「量」なのだ。目先の功利主義で考えれば、「量」の都合がよい。

 万博の成功とは何か?「量」なら「来場者数」が指標になるが、「質」で考えれば、「人に感動を与える」ことが重要だ。香港の有力経済紙「信報」は、以下のように上海万博を評する(趣旨抄訳)。

 「万博は、軟実力(ソフトパワー)を表現する場所だ。諸外国、特に先進諸国と一部の途上国は、それぞれの文化、自然と人をコンセプトにまとめてうまく表現しているが、中国館を見ると、特に各地方のブースは都市計画図を無造作に展示したり、美女をエントランスに立たせたりするだけで、地方政府の役人の統治実績の宣伝にはなっているが、人にじわじわ伝わるような感動や共鳴をまったく感じられない」

 万博の成功とは何か、ソフトパワーとは何か、来場者数よりも、考えることはたくさんあるだろう。

<次回>

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