援交や売春よりいい、日本人女性は海外出稼ぎで住込みメイドになれ

 出稼ぎに関する私のツイッター投稿にこんなコメントを寄せられた――。

 「(日本)国内で賃金が低いなら出稼ぎ労働者として賃金の高いオーストラリア、シンガポール、中東湾岸で働くのもあり。もちろん、スキルがあれば専門職に就けるが、無理ならメイド(家賃と食費は雇用主負担)で働くのだっていい。意外に知られてない事実だが、メイドの多くは祖国に送金して家を買ったり家族を養っている」

 マレーシアに住む私たち夫婦は、住込みのフィリピン人メイド(家政婦)を10年近く雇っている。完全住込みなので、家賃が発生しない。休日を含めて1日3食がついており、食費はゼロ。スナック類や嗜好品から衣服類、シャンプ―・リンス・石鹸・歯ブラシ、携帯電話、医薬品、生理用品、一時帰国旅費や家族へのお土産まですべて支給しているため、生活コストはほぼゼロに等しい。

 彼女は残業代込みで月給は手取りで9~10万円、年間100万円以上を祖国に送金し、10年で考えたら、1000万円以上も送金したことになる。彼女は実家の一族を養っている。最近、娘がカナダ留学に行くとも聞いている。私たちはこれだけ彼女の家族、ひいてはフィリピンの経済に些細な貢献ができたことをうれしく思っている。

 妻はこれを目の当たりにし、時々こうつぶやく。「日本人女性もメイドになって海外で働けばいいのに」と。我が家では、とりわけ、妻は日本語が通じ、和食を作れる日本人メイドがいれば、割高な給料を払ってでも価値があるように考えている。貧困女子で援助交際や売春より、メイドとして働くのははるかに健全だろう。

 先進国の国民はメイドになってはいけない。そんなルールは世の中どこにもない。職業に貴賎なしというのに、先進国は途上国のことを上から目線で見、メイドを途上国の特定職業と規定していいのだろうか。日本はそもそも「特定技能実習生」などと名付けてこそ、差別しているのではないか。技能は特定も一般もない。どんな職業にも技能が必要だ。

 「おもてなし」が日本人のトレードマークならば、日本人メイドには自ずとプレミアムが付くだろう。東南アジア諸国のメイドよりも高い給料がもらえ、それが日本経済に貢献する。大いに結構なことではないか。円安がどんどん進むなか、海外出稼ぎで豊かになるのも悪くない話だ。

 是非、実現してほしい。日本人メイド。

【読者コメント】

 本稿をフェイスブックに投稿すると、「ヘイト」という抗議コメントが来た。その人には「フェイスブックに通報するように」とアドバイスしておいた。フェイスブックからそう判断されて削除勧告があれば、私はそのルールに従う。もちろん、何ら勧告も来なかった。

 メイドは正当でかつ誇れる職業だ。マレーシアでは、メイドは「Domestic helper」(家庭内労働者)として正当な法的社会的地位を有している。職業に貴賎なし。逆に、その人の発言は、メイドという職業(サービス業)を見下し、差別しているように思えてならない。職業差別とは、偏見に基づいて、特定の職業やその従事者に対して差別的な扱いをしたり、特定の職業やその従事者を軽侮することである。

 売春は合法的で正当な職業ではない。売春よりはメイドの仕事がはるかに良いという私の主張が不当ならば、まさかその逆、メイドより売春をやった方がいいとでも言いたいのか?

 こんな経験談のコメントも来ている――。

 「中国在住の最初の頃、メイドをお願いしていたので、この話はよく分かる。中国語でメイドのことを阿姨(アーイー)と呼ぶのだが うちに来ていたアーイーは週3回で 基本はうちの大家の住み込みアーイーで、うちには、更にアイのバイトとして来てもらっていたのだ。聞いたことがあるが、結構稼いでいたようだ。子供を大学へ行かせていて アメリカに留学もさせたいと言っていた。日本では、結構なレベルか介護とかの理由でないと、家政婦がいるのは少なくなっただろうが、私は小さい頃も、家が衣料問屋で、お手伝いのおばちゃんがいた。日本もそうだったのだ。決して変な商売ではない。差別だとか考える人のほうがおかしいのではないか。人にサービスをして対価を得るのは、飲食店もホテル業も同じではないか。その辺、日本の感覚がずれていると思う」

 日本が先進国になった。日本人はメイドにならない、なってはいけない、世界の上等国民になったのだという潜在的差別意識に対する痛烈な批判である。日本では、肉体労働はなんでも外国人に任せる。外国人技能実習生とか怪しくも名付けて結局のところ、労務輸入、外国人搾取しているのが実態である。

 お金があれば、それでいいのかもしれない。しかし、ただでさえ貧しいのに、まだ働くつもりはないのか。あるいは、メイドよりもまだ売春や援交のほうがいいのか。確かに売春や援交は楽だ。日本人は楽な方向にどんどん向かっている。それは間違いなく崩壊の方向でもある。

 さらに、私の記事が某保守グループにシェアされたところで、こんな趣旨の書き込みがあった――。

 「こいつ(立花)の妻は家事もできないのか、海外に長くいて日本語しかできないのか、お金があるからステータスを誇示するのか」

 家事ができないからメイドを雇う、日本語しかできないから日本人を雇う、お金があるから偉そうだ、という仮説の真偽を別として、日本人メイドを雇ってその給料が日本に流れ、日本の経済に寄与する、というのは、何が悪いのか?国益に合致し、保守が考えるべきことであり、目指すべき方向ではないか。

 お金はどうでもいい。お金よりも体裁、イデオロギーというのもいいと思う。だったら、大嫌いな中国サプライチェーンを断ち切って、産業回帰で日本人が工場の生産ラインに立つべきであろう。それも体を成してないというのだろうか。

 お金があれば、使い方に悩むのもいいだろう。しかし、貧困のどん底に陥ってもなお成金時代の体面にこだわるのでは、ただただ嘲笑されるだけだ。

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