「老人集団自決」は暴論ではない、時代の流れを読め

 成田悠輔氏の「老害化する前に集団自決」発言を切り取って歪曲してはいけない。真意はい次の通りだ――。

 まず、現状。既得権益で身分実力不相応な過剰処遇を受けている老人たちには、コンフォートゾーンを奪い、社会的非難を浴びせ、自発的退場を求める。それができない時は強制力を動員すべきだ。次に、将来。資源不足によって全員がサバイバルできないという仮説の下で、「安楽死」を含めての選択肢を議論すべきだ。

 思うに、仮説を否定すれば、議論それ自体が抹殺されるので、現世代は責任を持って向き合うべきだ。日本人は誰もがいい顔して深刻な課題から逃げ回ってきた。それがそろそろ限界だ。全員が生き残れない場合、順番の選択は必要だ。トリアージということだ。

 日本は年金支給を減らすべきだ。ただ政治的にそれができない。なら物価を上げるしかない。結果は同じだ。私は日本国内の親戚にも言っている。今年金の満額支給を受けても絶対に安心するな、この先何年続けられるかわからない。「悠々自適な老後」はもう、ない、あり得ない。日本は丸ごとリセットされる。

 二八法則の二乗で、4%という数字が出る。今後の日本でまともに生きていける日本人は、約4%。500万人くらいだ。その500万人とは、全員が既得権益者層とは限らない。這い上がる人もたくさん含まれている。逆に10億円の資産を持っても円の紙くず化によってすっからかんになる人もいる。それは自己責任、あるいは自業自得。

 だいたい、成田氏いわく「役立たない老人死ね」とは、イデオロギーでなく、淘汰メカニズムに基づく自然の摂理だ。反対する輩は、役立つ老人ではないか、役立つ老人になる自信がないか、あるいは生き残る役立つ老人のことを妬むかのどっちかだ。そういう老人には自決する権利を与えるべきだ。

 ついでに、子供の話に触れておこう。子供の教育といえば、英語やピアノなどの習い事。もちろん、習得しないより習得したほうがいい。ただ英語なら、国連会議で同時通訳(逐次ではない)できるレベル、ピアノなら国際コンクールで上位入賞できるレベルに達さないと、中途半端程度ではこれからの世の中で役に立たない。

 国連会議で同時通訳できる人はそもそも、語学よりも国際政治のスペシャリストだ。当事国の利害関係をよく理解しないと、同時通訳などできない。つまり発言者の論理や文脈を先読みする力をもっているわけだ。

 国際コンクールで優勝するピアニストは、演奏技能の高い「奏者」だけではない。彼・彼女たちは何百年前も死んだ作曲家の魂の中に潜入し、作曲家の見ていた、感じていた世界をそのまま見、感じているのだ。「奏者」と「想者」から「創者」が生まれる。

 外国語やピアノは単なる例にすぎない。無思考的に子供に習い事をさせる親については、漠然とした責任感、固定観念、自己満足と虚栄心に過ぎない。母国語で論理的思考力、狩猟的サバイバル力を身につけるのが一番重要だ。

 時代が変わったのだ。役に立たない老人にならないためにも、子供の時から鍛え上げなければならない。

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