【世界経済評論IMPACT】中国大使の「問題発言」は問題解決するための発言か

 中国の盧沙野駐仏大使は4月21日、フランスメディアの取材に応じ、「旧ソ連諸国は国際法上有効な主権国家ではない」と発言し、波紋を広げ、諸国の抗議を招いた。

 記者から「クリミアはウクライナに属するのか」と問われた盧大使は、ぎこちない笑みを浮かべながら、「必ずしもそうとは限らない。そう単純な話ではない」とし、さらに「これらの旧ソ連諸国は、主権国家としての地位を具体化する国際協定がないため、国際法上、有効な地位を持たない」と述べた。

 諸国の抗議を受けた中国外交部は、「発言は、盧大使の個人行為」とコメントを発表。あなたは、それを信じますか?思い起こせば、昨年8月ナンシー・ペロシ米下院議長(当時)が台湾訪問した際も、米国政府は訪台はペロシの個人行為だと言った。それを信じる人がいたのだろうか?もしや、中国はその真似をしたのかもしれない。

 大使、外交官は、国家を代表している。ぺらぺらと個人見解を述べることは許されない。発言は事前に本国政府の了解を得るのが常識中の常識。特に中国のような国では、主要国であるフランス駐在の大物大使がこれだけ軽薄な個人発言をするとは、まず考えられない。盧大使の実質的な懲戒がもしなければ、相当怪しい。

 盧大使発言のわずか5日後、4は26日、習近平がゼレンスキーと電話会談を行った。そもそも、盧大使の個人行為である「問題発言」は、そのための前奏曲だったのではないかと思えてしまう。よく練られた計画だった。

 中国はウクライナ戦争の調停仲介に乗り出した。それが成功すれば、サウジアラビアとイランの国交回復仲介に続き、中国は外交的大勝利を収め、さらにイスラエルとパレスチナの和解仲介で成果を挙げれば、習近平は世界史を大きく塗り替えた偉人になる。その功績なら、ノーベル平和賞受賞に値する。

 具体的にいうと、中国にとって、罵声を浴びて軍事支援でロシアに勝たせるよりも、賞賛を浴びて停戦調停仲介に成功した方がはるかに、はるかに、はるかに利益が大きい。停戦は、終戦ではない。停戦ラインを引いて現状維持すればいい。露宇停戦が成立した瞬間は、中国の対米戦勝の瞬間でもある。もしや、さらに停戦区域に、中国軍のPKO(平和維持部隊)派遣になれば、…。それ以上言う必要もなかろう。

 戦争の終結は、完勝完敗を目標とするならば、多大な犠牲を強いられる。政治的解決、和解は妥協をなくして成り立たない。そこで様々な前提をリセットする必要もあろう。いわゆる(準)国土割譲も選択肢となり得る。

 盧大使の発言はある意味で、中国が提示する「政治的解決」の一選択肢と解釈しても良さそうだ。少なくとも私は実務の見地からそう認識している。領土の1ミリたりとも外国に渡すまいと、最後の一兵卒まで戦うという滅私奉公のロマンに酔い、美辞麗句を唱えるのは、往々にして自分も家族も戦場に行くことのない、大衆を食い物にしている政治家たちではないか。

 戦争屋のアメリカ、バイデン政権よりは、習近平中国は実際に戦争や紛争、敵対関係を終わらせることで、世界平和に大きく貢献している(もちろん中国にも多大な利益をもたらす)。それには誰も異論をはさむ余地はないだろう。

 戦争は勝ち負けで決着をつける。勝者は果実を総取りする。これは西欧列強から米国帝国主義までの覇権軍事・外交、植民地略奪の論理に基づく。彼らの頭にそれしかない。しかし、中華文化には独自の哲学がある。分かりやすくいえば、中華と米欧の本質的な違いは、「王道」「覇道」の違いだ。

 「王道」とは王者による道徳政治、「覇道」とは覇者の武力による権力政治。孔子は徳を政治原理とする仁政を掲げ、孟子は王道と覇道を峻別し、両者は仁と利、徳化と武力の相違とした。これと比べれば、米欧西方文化の相対的「野蛮性」が現れる。中華文化や東方哲学の奥深さ、これはアングロサクソン系の理解域を超えている。

 いつも言っているように、習近平は帝王学に精通している。西側の民主主義国家の指導者たちは、彼の足元にも及ばない。

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