「立花の予測外れ」の指摘に答える

● 「予測外れ」のメカニズム

 またもや、匿名コメントが来た(要旨)――。

 「立花さんは、十数年前は、中国の崩壊を予測していた。そして、現在は全く反対の立場を取り、欧米側の崩壊を予測している。十数年前と同様にありとあらゆる理由を述べ立てて、結果はともかく、その豪快なスイングが、ある種の人たちを引き付けてやまないようなのが興味深いです」

 この話(質問)は何の新鮮味もない。私は何度も繰り返し異なる記事に書いたことだが、簡潔に以下まとめておこう――。

 1. 誰もが明日の予測すらできない、不確定性の時代である(本稿第3節で詳述する)。いわゆる予測に固執するのは、馬鹿げた話だ。状況が変われば、予測を修正、否定するのは、当たり前だ。「ヒューリスティック」という概念を、私の記事に何度も述べてきた。

 2. 私は占い師でもなければ、特定の読者層を顧客とする論客やジャーナリストでもない。経営コンサルタントは、予測よりも、仮説を立てて、それぞれの仮説に適した生存戦略を構築するのが実務的仕事だ。もちろん、仮説を否定し、再構築するのも仕事のうち。

 3. 私の仮説を再構築し始めたのは、2020年の米国大統領選挙。以来3年、「変節」ともいわれるほど西側民主主義の腐敗等を指摘し、独裁専制の再評価にも取り組んできた。

 4. 「ある種の人たちを引き付けてやまない」という指摘について、2つ細分化しなければならない。まず、納得・賛同してついてくる人はおそらく私と類似の思考回路をもっている人たちだろう。もう1種類は、少数かもしれないが、当該匿名コメント愛好者のように、私の「予測外れ」を皮肉りながら十何年もついてくる人だ。後者の方、確かに興味深い。

 十年一昔、次の節目は2030年頃、私はもしかしたら、仮説を再構築するかもしれない。「根強いファン」としてさらに十年ついてきてくれるのだろうか。

● 「予測外れ」の責任

 予測外れで責任を取らされる場合、当事者は不利益回避するために、予測が外れても既定方針を変えず、間違ったまま軌道修正をせず、最終的に惨敗を喫する。――日本型組織の致命傷。太平洋戦争から今日にいたるまで、その性質はちっとも変っていない。

 予測(仮説)が外れるという「事」(What)から、すぐに責任追及という「人」(Who)へと論点のすり替えをする。そこから生まれるのは、無責任社会にほかならない。

 私のコンサル案件の成功率はほぼ9割以上に達している。ただ、初期段階の仮説がすべてそのまま現実になる確率は、ほぼ半分程度しかない。成功の確率を上げるキーは、状況の変化にいち早く反応し、いち早く仮説の調整・再構築を行い、軌道修正を行うことだ。

 人間は神ではない。正確な予測のできない動物である。だから、自己否定するのだ。それを導き出すために、終始「Who」ではなく、「What」にフォーカスすることだ。

● 百年に一度の大変革期

 百年に一度の大変革期。――私が2019年秋にトヨタグループに講演を招かれたとき、豊田章男社長のこのキャチフレーズが大前提となっていた(決して自動車産業だけではない)。2020年2月名古屋で講演の実施とともにコロナが始まり、以降、トランプ落選、ウクライナ戦争、台湾危機、米中新冷戦と世紀の大変革期の様相が鮮明になった。
 
 「百年に一度の大変革期」、ここ3年習近平もこのセリフを口にするようになった。
 
 世界が根底から変わる。そういう時期に自分の持っていた観念あるいは仮説を一度白紙に戻し、再構築することが何よりも大切だ。私はこの3年で大きく変わった。「予測外れ」とか「変節」とか他人にどう皮肉られよう、どう批判されようと、一向に構わない。

 われわれのいわゆるメインストリーム(主流)世界の基盤となっている、民主主義と資本主義という2つのシステムは、経年劣化から大故障を引き起こし、最も深刻な問題は、自己修復の可能性が見えていないことだ。

 歴史とは後付けの学問。数十年前の善・常識・常態が数十年後になってみれば、悪・非常識・非常態になったりする。今を生きるほとんどの人はそれを想像すらできない。歴史を学ぶことは、年号と事件の暗記、あるいは善悪の規定ではなく、将来に向けて仮説を構築するためだ。

タグ: