右翼・保守系になぜ頭の悪い人が多いのか?

 なぜ教育者には右翼・保守系が少ないのか?あるいは、なぜ教育者に左翼・リベラルが多いのか?裏を返せば、なぜ右翼・保守系に頭の悪い人が多いのか?

 保守系は、「日本の教育が左に乗っ取られた」といい、愛国教育に改めようとする。私はこれに賛成する。では、「愛国教育」とは何か?国旗国歌を上げる保守系がほとんどだ。では、国旗国歌から愛国心が生まれるのか?社歌を歌い社是を暗唱しつつも仕事をサボる社員がいるのは、なぜ?

 社歌社是も国旗国歌も単なる一種の「符号」にすぎないからだ。国旗国歌は本当に愛国心を高めることができるのか?北朝鮮は国中国旗が掲揚されている。果たして北朝鮮国民は飢餓に耐えながらも本心で彼らの国家を愛しているのか?答えが見えてくる。逆に愛国心が芽生えたところで自ずと国旗国歌への愛情が現れる、というのがよほど望ましいのではないか。

 前提は愛国心である。では、愛国とは何か?何よりも国益第一、「日本ファースト」だ。これはおそらく保守系に批判されることはなかろう。保守の第一義的な務めは国家利益を護ることだ。すると、常に「国益とは?」「国益を守るための戦略とは?最善策とは?」といった問いを提起し、最適解を求めるべきではないか。

 ここだ。論理的な議論は教育者、アカデミック系が得意とする一方、残念ながら多くの保守系の不得意分野でもある。保守系は「符号」を重視するあまり、「なぜ」を問わない、問えない、問う力がない、つまり論理的な思考力が平均的に欠如しているからだ。

 教育業界に左翼・リベラルが多いのは、「右翼・保守系に頭の悪い人が多いから」。と結論づけるのは、いささか乱暴だが、傾向として認めざるを得ない。こういうことを言うと、「お前は反日だ」との罵声がもたもや情熱的な保守系から飛んできそうだ。だから言っている――「符号」だ。

 右翼・保守系は、「符号」を裏付ける事象や言論を無思考的に肯定し、「符号」の反証をまた無思考的に否定する。「符号」を唱える政治家や論客の意見をそのままコピペして扱ったりする.コピペしたものの中身が国益や保守の本義に沿っているかどうかを検証しないし、その整合性や論理性なども気にしない。たとえ国益毀損になっても、「符号」は符号だから、一向にお構いなし。実に馬鹿げている。

 すると、「符号ビジネス」が生まれる。そうした「頭の悪い系」の右翼・保守層を相手に政治やマスコミといった産業が隆盛する。セグメンテーションというマーケティングの原理が働くわけだ。知人のマーケティング専門家いわく「儲かるビジネスは軒並み頭の悪いグループを客層とする」

 マーケティングとは、要するに「符号ビジネス」。ブランドというのは、脊髄反射を催す「符号」そのものだ。

 多くの情熱的な右翼・保守層は知らぬうちに特権階級、右を装った左のエリート階級に搾取され続ける。彼らは自分の利益すら認識できないのに、国益を議論する力など持てるはずがない。ただひたすら「親米」「親台」「反中」「反朝日新聞」といった符号に脊髄反射する。来る日も来る日も敵とされる中韓を罵り、共通の「符号」の反復再現によって同調・連帯感を得、日々の鬱憤晴らしやガス抜きに余念がない。

 私は決して左派・リベラルの主張に賛同しているわけではない。たとえば、国家を超えた「世界的利益」には、私は否定的だ。国家は人間社会の最大利益単位で、国民と国家の「契約」は国益に基づいているからだ。

 直近の汚染水海洋放出問題は好例だ。経済的にも政治的にも外交的にも、日本の国益に合致していない(その議論は別シリーズで詳述するので省略する)。にもかかわらず、大方の右翼・保守系は政府のプロパガンダに乗せられ、中国批判に余念がない。お気の毒だ。

 数日前から、橋下徹×東国原英夫の汚染水にまつわる対談動画が中国で拡散中。この時期でも、日本にやってくる中国人観光客は、どちらかというと、親日派である。しかし、この2人の対談は、そういう親日派中国人観光客に汚染水を飲ませるとか、福島産ホタテを食わしてカメラ撮影するとか、福島の海に泳がせるとか、といった内容だった。

 馬鹿にも程がある。インバウンドを潰したいのなら、別の方法はいくらでもある。日本人の品格や平均民度を下げるような言論はやめてほしい。結局、視聴率だろう。この手の話を聴きたい右派低能無脳層がいくらいるからだ。中国批判ないし相手を蔑むことは、同類識別用の1つの「符号」になっている。

 「左の思考回路を持った右」。――私個人的に、保守右派ではあるが、思考方法は、むしろリベラル左派的である。故に、左にも右にも批判されるのはしょっちゅう。いわゆるセグメンテーションも差別化もできていないマーケティングの失敗事例といえる。幸い私は政治家や論客、ジャーナリストではないから、辛うじて餓死せずに済んでいる。

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