なぜ、英語を勉強していけないのか?

 子供の外国語教育といえば、英語。日本人も中国人もこれを重要視している。英語をマスターすれば、就職やキャリアに有利だからだ。今一度、英語の出自、経緯を辿り、その本質を考えてみたい。

 かつて大英帝国が船と銃で世界を支配したのに対し、英国人とそこから派生された米国人、いわゆるアングロサクソンは今や英語で世界を支配している。英国の海外英語教育委員会が1956年に内閣に提出した報告書では、「英語はあらゆる方面から注視されるべき貴重で重要な輸出商品とみなされるべきであり、さらに英語は他の商品の輸出を促進する商品でもある」と述べられている。

 当初イギリスによる世界的な植民地化に伴い、英語は力によって各国に押し付けられた。英語が話せなければ物理的に生存そのものが脅かされていた。しかし、時代が変わった。英語は強制的でなくなり、グローバル化の土俵と化した。昔は「英語ができなければ生きていけない」だったが、今は「英語ができればもっと良く生きられる」、引き算から足し算へと変わった。

 それだけではない。英語は単なる言語を超え、今では「文明、進歩、自由、民主主義」のシンボルとして、価値観や美学の頂点へと昇り詰めた。言い換えれば、英語は文化侵略、精神的植民地化、政治戦略の実行、経済拡大のための重要な武器であった。

 米国議会は、1946年にフルブライト法、1948年にスミス・ムント法とも呼ばれる情報教育プログラム、1948年のマーシャル・プラン、1961年のフルブライト・ヘイズ法などを成立させ、英語・文化教育の戦略的位置づけと英語・文化教育の推進を国の立法レベルで強化してきた。

 英米の努力は結実した。かつて世界の公用語だったフランス語も大国の言語であるロシア語もドイツ語もそれらの地位は見事に、英語に奪われた。英語は経済活動のエネルギーとしての地位を確立し、その上にさまざまな経済や文化的、政治的な派生製品を生み出した。

 われわれは英語とともに、無思考的に西側の価値観ないし今日のポリコレを受け入れた。一人ひとりが懸命に英語を学び、暗記し、機械的な復唱を身に着けたところ、人間として最も大切な論理的思考の力を失った。つまり進んでアングロサクソンの従属者、精神的な奴隷に成り下がったのである。

 私はいつも言っていることだが、日本人は無理して英語などの外国語を勉強することはない。論理的な思考を母国語である日本語で正確に表現することが、もっとも大切である。外国語などは、これからAIがやってくれる。そこに貴重な時間資源を注ぎ込む価値はない。

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