理想に耽る、美弱化する日本人の醜態

<前回>

● 夢を持たないこと

 数年前、某取材でこういう問答があった――。

 問:「立花さんの夢は何ですか?」
 答:「夢はありません」
 問:「なるほど、夢が既に実現した方には夢を持たなくてもいいということですね」
 答:「いいえ、私は一度も夢を持ったことがありません」
 問:「えっ、珍しい。それはなぜですか?」
 答:「夢から期待が生まれ、期待から失望が生まれ、失望から絶望が生まれるからです。私は引き算よりも足し算が好きで、ゼロから少しずつ積み上げていく。幸せは小分けにしたほうがずっと人生は長く幸せでいられるからです」

 私の論理の根底には、ニーチェの「肯定的」ニヒリズムがある。強くなりたいという一念でその時その時ただただ力を尽くすのみ。この蓮の花のように。

An Lamリゾート

 大方の日本人は、夢や希望、善、自由、「ベキ論」を語り過ぎる。これだけ汚い、過酷な現世であるから、希望が失望を生み、失望が絶望を生むだけ。サバイバル力をなくしてのあらゆる善なる一方的期待は幻想や妄想、自己麻酔のアヘンに過ぎない。

 善を語ることは、悪に対抗し得る力を持つ者の特権である。善は、誰もが口にできる安っぽい、薄っぺらいものではない。平和も然り。戦いに勝てる者にしか語る資格はあるまい。民主主義もまた然り。自由も権利も、責任や義務、リスクを引き受けた上での対価給付である。

● 騙されること

 日本人が海外でよく騙される。私は恥だと思っている。騙すほうが悪であっても、騙されるほうが決して善ではなく、単なる弱や愚に過ぎない。日本人は騙される確率が高いから、詐欺者がそれを狙う。だから、騙される日本人は、同胞に多大な迷惑をかけている。反省しなければならない。

 以前あった話――。

 中国人の詐欺師に騙された日本人いわく「戦中に日本人が中国人に悪いことをしたのだから、償いだと思えばいい」。とんでもない馬鹿だ。その日本人のお爺さんが戦中に中国人詐欺師のお爺さんを殺し、お婆ちゃんをレイプしたならば、まだしも。中国人への償いなら、その旨を明示し、そのお金を詐欺師に巻き上げられるのではなく、ちゃんとしかるべきチャンネルで寄付することだ」

 騙されたら、どこがいけなかったのか。しっかり反省し、教訓を同胞と共有する。馬鹿の偽善をやったら、愚と醜の集合体になり、日本人の格を落とす。とんでもない話だ。

● 「醜い勝ち方」と「美しい負け方」

 中国が「醜く勝つ」ならば、日本は「美しく負ける」。――その論理の本質を指摘させてもらおう。

 「勝ち負け」は、客観的「事実認識」
 「美醜」は、主観的「価値判断」

 ニーチェいわく「力で世界を変えられない者は、解釈で世界を変えようとする」。そういうことを言っている。では、「主観的解釈で世界を変える」という行為は、美なのか、醜なのか?後者ならば、「醜い負け方」になる。負けを潔く認め、再起を誓い、そして行動する。それこそ、美しい負け方だ。違いますか?

An Lamリゾート滞在中

● 「Poor Japanese」

 「Poor」という英語は、「貧しい」だけでなく、「悪い」ことも意味する。たとえば、「Poor health(健康状態が悪い)」「Poor quality(品質が悪い)」など。さらに「可哀想」という意味ももっている。

 ただ、ここの「悪い」とは、倫理道徳的な「悪」でなく、不本意的な中性「悪」、正確に言うと物理的な「欠乏」を示している。だから、「可哀想」というわけだ。

 思うに、今の日本人には、まさに「Poor Japanese」という表現がもっともふさわしい。では、日本人に「欠乏」しているのは何?どう考えても思いつかないのだ。戦後の日本は、焼け野原。「欠乏」どころではない、「無」の状態だった。日本人がどん底から這い上がったのだ。

 ふと気づいた。今の日本人には、「無」が欠乏しているのだ。

 戦後復興、経済急成長で「無」から「有」に転じた。何せ参照点が「無」だったので、少しだけ豊かになった日本人は、本物の「有」に目覚めることなく、有頂天になった。そこで「攻」から「守」モードに切り替えた。守るべきものすら十分でないのに、攻めをやめて守り出したのだから、その後の展開は周知の通りだ。

 故に、今の日本人は一日も早く「無」を取り戻さなければならない。幸いか不幸か、時代はその方向に向かっている。

● 学び方を学べない日本人

 2013年から10年経った。私は、中国経済法(労働法)・法学博士号を取得した唯一の日本人だ。卒業に際して、2人の恩師からそれぞれ頂いた訓話は以下の通りだ。

 1. 法以前に政治あり、政治を制する者は法を制す。法は技術、政治は芸術。芸術家になれ!
 2. 博士号は君の妻のものだ。君の葬式で「Dr.」称号がついて最後の栄光は君の妻孝行だ。

 肝に銘じて取り組みたい。恩師にはただただ感謝。学歴デフレ。AIによって更に加速化。繰り返してきたように、大卒やら学位やら何の意味もない。フェイスブックで馬鹿投稿した人の出身校を見ていっそう断言してよかろうと思った。

 ローンで大学に行くのは自殺同然。特に日本の大学など価値がない。「学び方」を教えない。教えられる教授もほとんどいない。ChatGPTで十分。大学は、社会に出てから自分で稼いだお金で行くものだ。

 一言まとめると、「教育」そのものが間違い。「学育」でなければならないのだ。教えられて育たない。学んで育つ。しかし、「学び方」を導ける高度な「導師」は、日本に少なすぎる。「教」の字がつく「教師」も「教授」もアウト。日本の大学の教授のほとんどが「教え屋」だ。

 だから、言っている。大学の学費はほぼ無意味。学位も無意味。サバイバルに繋がらない。

<次回>

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