マレーシア移住(19)~国を捨てるか、国に捨てられるか

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 2012年3月15日、当時上海在住の私は、華人系移住仲介エージェントと契約を交わし、マレーシア移住MM2Hビザの申請を正式に依頼した。本来ならば自分で全手続を体験してみたかったが、仕事で時間がなく、結果的にエージェント任せになった。

 2012年4月30日、申請して僅か1か月半、MM2Hビザの許可が降りた。今では考えられない速さだった。依頼した華人系エージェントの現地政府筋コネが効いたかどうか定かではないが、とにかく早かった。何事も早いうちにやっておいたほうがいい。もたもたしている間に、状況が変わったりする。MM2Hも然り。

 移住とは、一義的に故国を捨てることだが、よく考えると、故国の国境線外に居住するという物理的な現象に過ぎない。マレーシア移住について、私はセカンドホームよりもむしろ、ファーストホームの意気込みで臨んだ。

 「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる『困窮邦人』」(水谷竹秀 著)という本がある。昨今の日本人の東南アジア移住ブームについて、「貧困」や「老い」など個人的な事情と、「日本の無縁社会化」や「年金危機」など社会的事情あるいは国家財政的事情が複合的に絡んでいる背景が鮮明に描き出されている。そういう意味で、「日本を捨てた」よりも、「日本に捨てられた」と言えるのかもしれない。

 人間は常に不幸を避け、幸せになろうとしている。「移住」もその中の1つの手段だ。日本人の郷土愛が強く、お国への否定はご法度だ。2012年当時読んだ「日経ビジネス」の「海外移住」特集も「日本人に海外移住を推奨しているわけではない」とわざわざ前提の言明をしているくらいだ。思うには堂々と言えば良いのだ――。

 「日本人は、幸せになるのだったら、国を捨ててもよく、国に捨てられてもよく、どんどん海外に移住すればよい」

 今は「移住」というが、昔は「拓殖」だった。未開の荒地を切り開いて住みつく「拓殖」とは、相当な覚悟を決めて身を投げる壮絶物語で、今こそ言い出したら笑われるかもしれないが、われわれはマインド的に「拓殖」の精神を持ち続けるべきではないだろうか。

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