マレーシア移住(41)~「NOBU」流商法、王道と邪道の日本料理

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 乱暴な仕分けをすると、「NOBU」の料理は2分類できる。1つは、創作系で日本人からすれば邪道までいかなくとも、「非王道的」な日本料理である。もう1つはオーソドックスの王道系日本料理。

NOBUクアラルンプール店の料理

 まず、後者についていえば、まさに日本人が好む料理店が他にいくらでもあるわけで、料金的にも割高感すら持たれる「NOBU」には競争的優位性があるとは思えない。日本人消費者として王道の日本食を求めるなら、おそらくオルタナティブがあまりにも多いからだ。そもそも、 「NOBU」はそこをターゲットにしていないのだ。

 「日本人を相手にしない」

 ――さすがに「NOBE」自身からは言いにくいだろうが、私はそう直感する。セグメンテーションは明快ですっきりしている。もし、「NOBU」が多くの日本人客が喜んで求めるDNA的な「おふくろの味」、王道系の日本料理に固執していたら、おそらく成功しなかっただろう。

NOBUクアラルンプール店の料理

 「NOBU」の品々からは、和食に付着する郷愁的なフレーバーが感じられない。その代わりに、きらきら感が溢れ、ときには官能的ですらある。日本に故郷をもたない消費者にそもそも感傷的な郷愁への共鳴を求めること自体がナンセンスだ。日本料理は日本人のための料理だけではない。世界で何ら前提の設定もなく、すんなりと受け入れられる日本料理にするために、脱王道が欠かせない。邪道と言われても一瞥だにせず我が道をひたすら突進してゆく勇気と胆力も必要あろう。

 オーナーシェフの松久信幸氏は、そもそも世界戦略を練り上げて打って出たわけでも何でもない。世界のあちこちでただ自身と家族の糧を得るために、無我夢中になり、ときには野獣的な生存本能に頼って踏ん張ったに過ぎない。困窮、不運、失敗を一身に抱え込んだ人間で、そのしぶとい生命力がすべての苦難に耐え抜いた結果は、今日の「NOBU」の開花である。

 経営学やマーケティング戦略のセミナー、あるいは成功者の後付け的な体験談、そんな座学をする余裕などありはしない。ただただ糧を得るためのハンティングを繰り返すだけ。苦難というが、人間は、苦に耐えられても、難に耐え抜くことはなかなかできない。失敗を受け入れる気迫と胆力は、生き延びようという頑強な生命力から生まれるものだ。人間の生命力ほど美しいものはない。

 松久氏自身の人生模様そのものが、「NOBU」のモチーフになっているような気がしてならない。

NOBUクアラルンプール店の料理

 私は「NOBU」のこういったいわゆる創作系の料理を見つめながら、あることに気付いた。もし、この料理を西洋料理として出したらどうであろう。和風あるいはオリエンタル風の西洋料理としても立派に通用するのではないか。そうした意味で、「NOBU」そのものを和にアレンジされた西洋料理店として規定しても問題なさそうだ。

 逆のパターンもあるだろう。たとえば、「ミクニ」というフランス料理店がある。それはまさに和を取り入れた洋食である。洋食に日本人的な郷愁感を取り入れたところ、きらきら感が見事に艶消しされ、日本人客がセンチメンタルに大喜びする洋食に変身したのではないか。

 大切なことは、日本人が見た日本ではなく、外国人が見たニッポン、正確にいうと、外国人がイメージしていたニッポン、見たいニッポン、求めていたニッポンである。

 世界で知られる「ニッポン」を舞台とするオペラの名作「蝶々夫人」を創り上げたプッチーニは、何と一度も日本を訪れたことがない。あの舞台に描かれたニッポンは、いかにも幻想的ときには官能的であろう。だが、それを見て、いやそれは本物の日本じゃないと、いちゃもんをつけてリアリティに固執する人はいるのだろうか。食文化も一種の芸術である。それを忘れるべきではない。

 一時流行っていた「クールジャパン」もまた然り。私から見れば、目線はまだまだ、日本人的過ぎる。外国人が見たクールなニッポンとは何か、日本人が勝手に自己定義する前に、リアリティーの消去とリセット作業、ゼロベースの思考回路が断然不足しているように思えてならない。

 こういう話をしていると、私のフェイスブックには、「(NOBUの味は)下北沢の創作和食居酒屋と変わらない」といった主旨のコメントが寄せられた。それが真実かもしれない。だが、下北沢の創作和食居酒屋はなぜ、世界の名店になれなかったのか。

 海外で日本人を相手にする日本料理店は、全般的に下火傾向の今日である。日本人の消費力が相対的に低下するなか、外国人富裕層ターゲットの拡大をなくして経営は成り立たない。世界を相手にする日本料理店のあり方という命題と向き合って、様々な答えがあってもいい。

 伝統文化の伝承や固有味覚といった意味での王道、そして新世界を切り開くための非王道的な試行錯誤、様々な価値観が混在する世界の日本料理外食業界。熾烈な競争を勝ち抜き、生き残る条件とは何か。これもいろんな答えがあるだろう。

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