<雑論>APECが終わっても戦いが終わらぬ / 「頑張れ」 / 愛国心

● APECが終わっても戦いが終わらぬ

 アメリカで開かれたAPEC首脳会議が閉幕し、米中の首脳が緊張緩和をアピールした。メディアも米中関係の改善を示唆する報道を目立たせた。私はこれが一過性のものと捉えている。まずバイデン民主党政権は来年の米大統領選を控え、米中関係の悪化を何としてでも避けたいという思惑がある。米中関係の根本的な改善はもはやありえない。

 アメリカは気が付けば、中国の台頭が米国の独占的覇権を脅かすところまできたと。そこで中国を抑えつける以外に選択肢がない。民主主義が独裁専制に負ければ、米国神話が破綻するからだ。しかし、現に民主主義は敗色濃厚だ。「民主」とは?民が主になるのではなく、民を主と見なすのだ。民が主になり得ないからだ。民は権利を無限に主張しても義務の欠片もない。今の中国は、それなりの徳政を施し、米国よりはるかに善に近い。

 台湾問題も、民主と独裁の戦いにすり替えられている。しかし、中国は必ず台湾を統一する。ただ、いつ、どんな形で実施するかは、分からない。だから日本人が考えるべきは、「台湾有事でも日本無事」。日本人は、台湾人のために流血する準備ができていない。

● 「頑張れ」

 「頑張ってください」「頑張ります」――私の嫌いな日本語の1つだ。正確に言うと、「頑張る」の日常的な濫用が嫌いだ。人は生きる限り、日々頑張っている。頑張らない人は人間失格。「頑張る」ことは、呼吸と同じようなことだ。「頑張っても報われない」は、「頑張れば報われる」があっての誤認。本当の「頑張る」とは、「背水の陣を敷く」ことであり、内的意志であり、決して社交辞令ではない。

● 愛国心

 保守系のなかに愛国者が多い。その愛国心は疑う余地がない。問題はどこまでコストや犠牲を引き受けられるかだ。愛国心とコストの分岐点と言ったらわかりやすい。例えば、海外在住のユダヤ人が戦争になれば、進んで帰国して祖国のために戦う。それはさすがに、命を捧げる自覚の次元であるから、ちょっと難しいかもしれない。

 では、経済的不利益を引き受けるくらいなら、どうだろう。たとえば、本気で脱中国を目指し、日本人は2~3割の生活コストアップなど、引き受けられるだろうか?あるいは、日本国内に工場を作り、サラリーマンやOLがスーツやハイヒールを脱ぎ捨て、ブルーカラーに変身し、生産ラインに立つ覚悟はできているのだろうか?

 答えてもらうつもりはない。答えられないだろうから。1つだけ言いたい、本物の愛国とは、何か?国歌斉唱すれば済むことでもなければ、SNSで威勢の良い反中コールしていれば済むことでもない。愛国とは痛みが伴うことだ。日本には、浅薄な似非愛国者が多すぎる。

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