階級社会の真実(4)~自発的強制労働という仕組み

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 搾取は、強制労働に基づく。奴隷制度の強制労働から、貧困故の準強制労働を経て、今の自発的強制労働に至った。

 自発的強制労働は、人間の感情、欲望、欲求をいかに搔き立てるか、その成否にかかっている。分かりやすく言えば、人は次から次へと物欲しさから商品・サービスを買い、どんどんお金を使っていくと、お金が足りたくなり、なかに借金までして消費する人もいる。このような状態になれば、いつまでも、働かざるを得ない。自ら差し出して自主的に、能動的に搾取されるのである。そのメカニズムを解明していこう。

 昔から今までの異なる時代に相応する100万円分価値の貨幣をもって、何かを買うとしよう。100年前、50年前、そして今の100万円を消費する場合、その消費対象となり得る商品・サービスの種類(数と量)を比べ、どれだけ増えたのだろうか。

 供給は、資本家・上層階級が握っている。彼らは、下層階級のことをよく理解している。商品・サービスの供給は、横展開、縦展開と異次元展開という「三位一体」の仕組みを設計し、消費者・下層階級から消費行為と労働行為の両方から搾取する。これは強制労働と準強制労働を超えた精巧な仕組みである。

 まずは、横展開

 同類商品の種類を増す。例えば、昔は、サラダ(生野菜)を食べる際に塩やオリーブオイルだけだったが、いつの間にかドレッシングが生まれ、さらにドレッシングの種類も徐々に増えていく。フレンチやイタリアン、サウザンアイランド、和風、シーザー、ごま風味、コールスロー、マヨネーズ、タルタルなどなど。さらにサブの小分類や銘柄もあり、スーパーのドレッシングコーナーやブッフェのサラダバーの前に立ち止まって選ぶのに困ってしまうほど種類が多いのだ。

 商品の種類が豊富で、消費者に選択の自由が増えて何が悪い?という洗脳が同時に行われている。商品が増えることは良いことだという「正論」が刷り込まれている。必需性をはるかに超える「不要不急」な商品・サービスが充満し、豊かさを謳歌する一方、人々がなかなか豊かさを実感できないのは、搾取されているからだ。

 次に、縦展開

 私は未だに中古品で買ったiPhone 7Sを使っているが、知らぬうちにすでにiPhone 16が発売されようとしている。iPhone 4以降の機体に何か画期的・革命的な進化があったのだろうか。少なくとも、私はiPhone 7Sに満足しているし、日々の使用に何ら不便も不都合も感じていない。仕入れ価格と減価償却の両面をみて、コストパフォーマンス抜群だった。

 しかし、いくら使用上に問題がなくても、人前で何世代も前のiPhone機体を突き出すには、少々勇気が要るかもしれない。私は人からの「見られ方」をまったく気にしない人で、それが問題にならないが、他人は全員がそうではない。「新機種がほしい」と消費者に思わせたら、つまり人間の感情、欲望、欲求を搔き立てることに成功したと言える。

 10年を1つの区切りに、スマホの買い替えは何回したか、いくら投入したかを計算してみたらいい。私の場合、平均10年に1回、しかも中古機購入で2万円程度。10年で減価償却すれば、月当たり167円。浮いたお金は役に立つ有料情報(知性)の購入に投入すれば、自分の成長にはるかに有益ではないかと。スマホなどはただの「有形物体」にすぎない。

 最後に、異次元展開

 実用機能以上のいわゆる付加価値を上乗せした高級品・準高級品、広義的ブランド品を買わせる。知り合いのマーケターが言い放つ。「桁違いの利益を上げているほとんどの商売は、馬鹿なマス層をターゲットにしている」。たとえば、欧州系のブランド品も例外ではない。人からの見られ方、虚栄心、自己満足に価値を置く中所得者層がその主たる顧客層になっている。

 フランスの哲学者・思想家ジャン・ボードリヤールいわく「商品は『記号』として消費されている」。自分が所属する、または所属したい集団の記号である。さらに細分すると、内向型(自分に言い聞かせ、自己確信させる)と外向型(他人に見せ、情報を伝達する)がある。実用の機能パフォーマンスを超えた「記号」、つまり情緒パフォーマンスに対価を消費者に支払わせる。

 量と質の両面において、横展開、縦展開と異次元展開という「三位一体」の仕組みを利用して、消費者・下層階級から消費搾取労働搾取を、これも両面において同時に行う。いわゆる「大量生産・大量消費」時代の本質は、搾取にある。

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