<雑論>EV車と日本人 / 立花は反日親中か? / 情報商材 / 日本人と宗教

● EV車と日本人

 EV車は、自動車産業よりも、移動サービス産業だ。多くの日本人の認知は、未だに自動車の技術や機能次元にとどまっている。そこで世界と噛み合わないわけだ。電話→スマホの変化によって、電話機そのものの存在も根本的に変わったのと同じだ。新産業の後押しには、技術や市場メカニズムを超えて、政治が絡み、そういう俯瞰的視野を持たない日本人は、損している。視野狭窄の問題。

 繰り返してきたことだが、世界は、「自動車産業」の上位概念である「移動サービス産業」にシフトしている。「移動=目的」「自動車=手段」という本質に気づいていない多くの日本人は、「技術」に執着するが、そもそも「ものづくり」「技術」自体も「手段」「サブ手段」にすぎないのだ。

 私が上海で利用したタクシーの運転手がこう言った。「EV車ははっきり言って使いづらい。けど、慣れていかないと、置いていかれる。技術問題は徐々に解決するだろう」。タクシーの運転手でさえしっかり時代の流れを捉えている。日本は電機産業で負け、最後の砦である自動車産業も置いていかれようとしている。

 最後に補足しておこう。個人的にガソリン車派だ。日本は将来的に、ガソリン車というニッチ市場で独自の地位を確立するのも一択。ただ需要の量的激減で、とりわけ愛知県が大変な被害を受けるだろう。

● 立花は反日親中か?

 当社の売り上げの多くが、在中日系企業からのものだ。これらの日系企業は、中国市場での売り上げ、または中国製品の日本や欧米市場での売り上げで利益を得ている。中に中国事業の利益で日本国内の株価を支えている企業も少なくない。さらに中国事業で日本人の雇用を守り、日本人消費者の欲しがる商品を届け、日本経済を支えていることも忘れるべきではない。

 にも関わらず、嫌中反中の日本人が多いのも事実。民主対独裁専制の対立というイデオロギーが先行なら、日本人は経済的利益を放棄するのがスジだ。どうしても、イデオロギー次元で言うなら、民主主義国家の市場や経済、国民が、専制国家に頼り切っていることになる。

 旦那の悪口を言い続けながらも、旦那の収入に頼る女には、離婚の自由がある。なぜ、離婚して、自力で生計を立てられないのか?日本企業の工場を日本国内に持って帰ればいい。日本人サラリーマンやOLは明日から、作業服に着替え、生産ラインに立ってせっせと製品を作ればいい。市中の商品が2~3割値上がりしても、日本人消費者が愛国心で買いますと。それができるのか?

 よく考えてから、ものをいうべきだろう。ここ4年、私の言論に変化があり、それを「反日」と評する人がいる。まず、私の言論に事実でなく、捏造であるものがあるのかを指摘してほしい。もし事実を述べ、事実に基づく分析が「反日」なら、もう1つの事実を明らかにしているだけ。それは、日本が弱すぎることだ。

 民主主義とは、捏造誹謗以外の言論を包摂的に容認するはずだ。それを否定したら、独裁専制と一緒ではないか。本物の強者なら、自信を持つ。「反強者」などを口にしない。

● 情報商材

 情報商材に詐欺が多い。「楽に稼げる」「確実に儲かる」「誰でもできる」という要素が挙げられるが、需要があっての供給だ。背景には、簡単に稼げなくなったという現実がある。そういう時代だからこそ、本当に稼げて儲かった人ほど種明かしをしたがらない。情報商材といえば、本屋で売られる書籍も情報商材だが、安価なうえ、立ち読みして内容の確認もできる。しかし、情報商材は違う。高価でお金を払わないと、内容の確認しようがない。ネット上で無料情報が溢れる中、唯一無二の独自情報で高価に値する情報は、あり得るのか。

 「大儲けした」という作り話事例も見え見え。さらに講師はキラキラでいかにもお金持ちに見えて、そこで洗脳されるわけだ。私の知っているお金持ちはみんな地味。キラキラ場面があったとして、上層階級の内輪だけだったりする。お金持ち・上流階級のことを知りたい人は、入門編として、「Tatler」誌でも購読したら如何でしょうか。「Tatler」誌は、マレーシア版やタイランド版まであっても、日本版がない。本物の日本人ハイソは露出したがらないからだ。

● 日本人と宗教

 フェイスブックで信仰や宗教の話題になると、必ず自分の所属する宗教の話を持ち出す日本人がいる。以前、選挙で幸福実現党の主張に同調し、その旨の記事を投稿したら、党首から信者党員までどさっとコメントが殺到した。ここまでならまだしも、宗教の説教か布教か勧誘か分からないような信者コメントの嵐で嫌気どころか、幻滅する。国政選挙で、私は単に国益次元で同調しただけで、それに便乗しての宗教話では、一気に冷める。

 外国人の場合、会ってイエスがどうのこうの、アッラーやムハンマドがどうのこうのという話を一度も聞いたことがない。宗教は下着のようなもので、人前で絶対に曝け出すことはないという。日本人は無宗教だけに、いざ特定の宗教に帰依すると、なぜかすぐに他人に宗教の話を持ち出す。自慢しているつもりかもしれないが、それだけはやめてほしい。

 私は、自分の信仰があって、特定の宗教を必要としない人である。私は合掌して祈りはするが、仏教の神仏を信じているわけではない。私は欧州の哲学を活用しているが、イエスを救世主と思っていないし、無論キリスト教徒でもない。神は自分の中に宿っている。私は自分の神と日々対話し、俗人で凡庸な自分を否定し、神の世界にいる。独自の信仰を持てない人には、宗教は役に立つ存在だ。宗教は、最大公約数的な信仰の標準化、量産化、利益の伴う産業化、そして聖たる信仰の大衆化である。

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