日本はうるさい!自己防衛能力剝奪する過保護の音害

 久しぶりに日本へ一時帰国した感想としては、「日本は、うるさい」――。各種の公共の場の放送がうるさい。

 エスカレーターの乗り方まで、ここまで細かく注意することは過保護ではないか。空港の出発アナウンスも過剰なくらい繰り返している。乗り遅れは自己責任だろう。

 少し前だったが、どこかの空港ターミナルのトイレにいくと、トイレも放送がついている。「こちらはトイレです。手前が男性トイレ、奥の方が女性トイレ・・・」。そこまでやるか。

 思い付く危険やリスクを取り除き、安全や利便性を提供する主旨はよく分かる。ただその副作用を考えたのだろうか。

 安全や安心のもとで、人間の自己防衛能力がどんどん鈍化していく。この話をフェイスブックに投稿したら、こんなコメントがやってきた。「日本は生活空間に関して、民度が低い。皆が低能だと思っているような過剰なアナウンス。それをおかしいと思わない市民。日本はもっと民度を上げないといけない」

 大変厳しい指摘ではあるが、その通りだと思う。

 もう一つの問題点は、増える外国人だ。日本語を解さない外国人にとって、いたるところ雑音同然の日本語アナウンスの垂れ流し、逆に不安が募らないか。オリンピックに向けて、真の「おもてなし」とは何か、そろそろ真剣に考えたほうがいいだろう。

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コメント: 日本はうるさい!自己防衛能力剝奪する過保護の音害

  1. 大変厳しく、ありがたいお言葉を頂きました。常になぜ、なぜを問いかけ、自らの信念に生きる立花先生から頂いた反省材料として大切にしたいと思います。
    なぜ放送によるサポートが無制限に増えるかを改めて考えてみると、日本特有のサービスの無限責任に基づくところが多いのではないかと考えます。
    日本では係の人、或いは売店の人でさえ、こちらが質問しさえすれば正しい情報を与えてくれます。いえ、質問しなくても誤りを指摘して正しく導いてくれさえします。それはカルチャーであり、義務ですらあります。
    トイレの例で言えば、男女を間違えて入る客が頻繁に入れば、それは本人の責任である以上に設備管理側の責任となり、監視義務が生じます。プレートを工夫するだけでうまくいかなければ、専任のスタッフを立ててサポートすることが要求されるでしょう。
    従って、旅する人は情報収集も思考も判断力も要求されません。お金を使うだけでよいとさえ言えます。
    しかし、結果として情報・サービスを提供する人たちの負担は増える一方になります(その大きな原因は高齢化が進んだことにあるのかもしれません)。そこで、そうした情報・サービスを提供する人たちの負担を減らすために、また常に周知徹底の努力を行っているとアピールするため責任回避のために放送がますます強化されることになったという推測はいかがでしょうか?

    1.  須本さんが分析された通り、これ以上でも以下でもないと私は思います(もちろん、須本さんも私もまだ気付いていない側面もあるでしょう)。ありがとうございました。明日の記事で紹介させていただきます。

      1. ここ数日の間日本で過してみて、放送の増加にていて改めて感じることがありました。放送増加の最大の要因は、ほかでもなく、スマホの普及だと思います。
        スマホが一般的になってきたことで、標識等をみることなしに情報が入手できるようにする必要が出てきたのでしょう。
        他国ではスマホにそこまで集中できる条件がないため、日本のような放送による誘導が発展していないのではないでしょうか。

        1.  「放送増加の最大の要因は、ほかでもなく、スマホの普及」「他国ではスマホにそこまで集中できる条件がない」。こういう結論は、莫大な調査データの裏付けが必要で、以下のような課題を一つ一つクリアしていき、数百ページの論文の末尾に出てくるものですね。

           ① 日本と各国のスマホ使用状況、特徴と相互比較。
           ② 行動学・生理学における人間の聴覚情報と視覚情報の受容状況
           ③ スマホの使用と音声による公共情報提供の関連性
           ④ 日本と各国の放送状況の比較
           ⑤ ・・・・・・(などなど)
           
           このような論文はとても有意義で、行政が買ってくれるかもしれませんよ。ただ論理性とは、仮説のもとでの検証ですからね。またもやお耳の痛いことですみません。

           すぐにもたくさんの疑問が沸きますね。スマホに頼らない人、特に高齢者が音声案内に依存している現象があれば、スマホとの関連性は否定されませんか?別の関連性があるとすれば、どのようなものか?・・・などなど。

          1. 申し訳ありません。個人的な感想を結論のように書いてしまいました。スマホをいじりながら電車で移動していると、次々に放送が聞こえてきて、ひどく便利に感じられたものでそのまま書いてしまいました。

            個人的な感想と言えば、私は日本にいた頃、電車の乗り換えとかがあまり得意でなかったと記憶しています。ところが、今回の帰国では、乗り換えで迷うことがほとんどありませんでした。電車を降りるとすぐに次の乗り換えホームを知らせる放送が流れてくるためです。
            昔はあんなにタイミングよく、どこそこ行きは何番プラットホームでお乗り換えくださいとか放送されていたのかな?とちょっと不思議になりました。気のせいかもしれませんが。

  2. 確かに放送過剰な万面はあるかもしれませんね。電車の乗り換えのプラットフォームのお知らせとかは助かりますが。
    スマホ禁止ルールがあるのと小声の習慣とでトータルでは静かかと思います。静かだからこそ、放送が活躍するのかとも思います。

    1.  識字率の高い日本は、文字の多用が基本でしょう。「利便性で助かる」という反面は、自己情報収集力・思考力・判断力と自己責任の低下につながる。「静かだからこそ、放送が活躍する」というのは、私の「偏見」からすれば「歪んだ感覚」です。津波襲来警報は別問題ですが・・・。

       大変お耳の痛いことをあえていいますが、「空港トイレの放送が目の不自由の方のためだ」という表象から掘り下げて「なぜ」を聞けなかったのも、ある種の思考力(懐疑力)の低下ではないかと思います。たとえ、善き目的であっても懐疑する、このような異端教育が日本で行われていないからです。

    1.  かならずこの質問が出ますね。目の不自由の方のためなら、空港以外の駅や道路の公衆トイレなどなぜ放送がないのでしょうか。なぜ諸外国ではやらないのでしょうか。目の不自由の方の航空機搭乗は何回も目撃したがあります。航空会社は特別の補佐スタッフを付けているので、むしろ不自由は一般の公共の場よりも少ないと思いますが・・・。

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