シンガポールとは?徹底した実利主義の国家づくり

<前回>

 シンガポールとは何か、あるいは、シンガポールとはどんな国か。といった質問には、なかなか答えるのが難しい。自分なりの感想を率直にいうならば、「実利主義に徹した国家」としか表現できない。

 まず、独裁と言われているが、確かに日本のような「数」で勝負する民主主義国家ではない。万年与党の人民行動党は少なくともいままで、政権交替を心配することなく統治に専念してきたといえる。国家百年の計といったら大げさかもしれないが、少なくとも中長期的な国益所在をしっかり見定め、戦略と政策に取り組む余裕に恵まれたのであろう。

 国民のもの言う自由が著しく欠落していた。発言の品質は数で決まるわけではないからだ。それ自体が究極の合理性を有している。単体の国民は私利私欲の塊である以上、その単純総和が決して国益になり得ない。政治家とは民意の集計合算が仕事ではない。論理的な思考に基づき、取捨選択の意思決定をするのが仕事である。

 民意に逆らうことも、国民に憎まれることも、政治家は求められているのだ。その根底には完全な合理性が拠り所になっている。もちろん権威は必要だし、威嚇も時と場所によっては正義となる。日本人が政治家の徳目とする「庶民の声に耳を傾ける」姿勢もシンガポールでは絶対善になり得ない。

 政策の選択・決定を見ても納得する。

 クリーンをモットーとするシンガポールでは、なぜ、売春や賭博を容認しているのか。一見矛盾しているかのような事象だが、その本質に目を向ければ、そこは実利主義の原理原則が貫かれていることが分かる。

 売春は人類最古の職業として、資本主義だろうと社会主義だろうと、どんな社会体制下でも撲滅することはもはや不可能だ。そこで禁止すればするほど、レントシーキングや腐敗、犯罪のまん延が拡大し、事態が悪化するのみだ。であれば。容認しようと。厳格管理下に置き、売春を容認するのが合理的な政策の選択である。

 カジノは随分もめた。最終的にOKサインが出された。ただしこれも厳格管理下に置かれている。カジノ入場時の身分証明書の提示、21歳以下の入場禁止、カジノ内での原則信用貸しの禁止・現金のみの使用、カジノ施設内への銀行 ATM の設置の禁止、損失限度額の事前設定などなど、数多くの「ソーシャルセーフガード」がかけられている。

 面白いことに、外国人はカジノ入場無料だが、シンガポール国民と永住者は、1日100シンガポールドルの入場税を払わなければならない。外国人から金を巻き上げても、自国民は賭博の危害から最大限に守ろうという姿勢である。さらに自己破産者や生活保護受給者などに対しても入場規制・禁止の措置が取られている。

 すべて、合理性に基づき制度が設計されている。

 シンガポール滞在中にタクシーに乗ると、運転手が盛んにカジノへ行かないかと勧誘してくる。「カジノは面白いよ。外国人は入場無料ですから、得ですよ」と。冗談じゃない。得なわけがないだろう。まあ、よくもお国のために熱心に売り込んでくるものだ。ちょっと外国人をカモにしていないか。

 徹底した実利主義に基づく国家づくり。そんなシンガポールはいまのところどうやらうまくいっているようだ。ただ栄枯盛衰、諸行無常。シンガポールの将来を正確に予測できる人は誰も居るまい。

<終わり>

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