時代が変わった。学校と企業の関係も変わってくる。変わらなければならなくなる。
学校を卒業して企業に就職し、そしてと数十年のサラリーマン人生を経て定年し、老後を過ごす。という従来の「標準型」人生ステージシフト、あるいはライフチェーンといっていいだろうか、それが崩壊していく。
まずはライフチェーンの後方、「定年退職」というステージシフトがいずれ消えるだろう。年金制度の崩壊は時間の問題だ。と断定するまでいかなくとも、1つの仮説として議論を展開することに異論はないだろう。年金制度の崩壊というのは、崩壊で終結するのではなく、別の制度に変わることを言っている。
終身現役に徹してそれを実現できる人とできない人がいる。実現可能派は自力で終身現役で年金に頼らず一生を終える。無論それにインセンティブが必要だ。年金をもらわない代わりに、社会的インセンティブが付随しなければ、動機付けが失われる。この原理に即した仕組みを作らなければならない。
これと同時に、何らかの理由で終身現役が実現できないグループには、救済が必要になってくる。そこで年金制度が実質的に「非終身現役救済制度」に変わる。
終身現役グループと非終身現役グループという2つのグループに関して、まず等しい人権をはじめとする基本的権利の均一がありながらも、インセンティブ面では格差が生じざるを得ない。いや、生じなければならないのである。社会全体的にいえば、後者の「非終身現役グループ」は「被扶養グループ」になるからだ。
次に、この2つのグループの間を行き来できるようにする必要がある。それぞれの人はそれぞれの時期や状況に応じて、自らの選択でグループを選ぶことを可能にするという仕組みだ。
「標準型」人生ステージシフトが終焉を迎え、日本人はより能動的にそれぞれの人生ステージを自らの意思で描いていく自由と選択権を与えられるだろう。自由からは無数の可能性が生まれながらも、多くのリスクや挑戦に直面する。その相互の力関係が機能し、均質化された日本社会に変化の触媒が注入され、より多くのポテンシャルからバリューが生まれ、社会が進歩し、日本は進化する。
「働き方改革」の先は、「生き方改革」なのだ。