ビッグバンの到来、「分断」によって「分化」が生まれる

 「分」という字、「分かれる」と解されるだけにあまり良いニュアンスをもっていない。

 分断、世界や社会が分断されるとなれば、悪いことだ。「分断」とは、「分かれて断つ」。物理的に、ある種可視的状態を表現している。これに対して「分化」はどうだろう。「分化」とは、「分かれて化ける」。化けるわけだから、姿や構造が変わり、別のものになる。質的な変化が起きるということだ。

 今の世界や社会、見た目ではたくさんの「分断」が進行している。しかし、「分断」という可視的現象の奥底に何らかの「分化」も同時進行していることに気付きたい。量的変化と質的変化を複眼的に、表面の観察だけでなく本質の洞察まで捉えるということだ。

 150億年前に、宇宙がビッグバンによって誕生した。想像を絶するほどの高温ですべてが無に帰す。実は「無」という概念も存在せず、物質が分解されると、分子から原子、原子から原子核、原子核から素粒子へと、もはやこれ以上分けることのできない最小構成単位にたどり着く。超高温という「熱」によってすべてが最小構成単位と化し、その後宇宙は膨張して冷却し、それに伴って最小構成単位の再結合・再構成が始まり、地球や自然、生物の形成につながっていく。

 宇宙や地球からあらゆる物質まで、消滅や形成といった変化の根底を貫くメカニズムは「分化」であり、分化の繰り返しである。分かれて、化ける。これはむしろ社会にも通底する原理である。自然科学と社会科学とは、原理や法則を探求する「科学」という意味で共通しているからだ。

 素粒子とは、物を構成する最小単位だ。我々人間の肉体も、着ている服も、乗っている車もみんな素粒子の集まり。では、社会を構成する最小単位は何かというと、個々の人間である。「自分を見失う」とか「自己発見の旅」とかよく言われるが、要するに最小単位である個人の集結によって構成されている何かしらの共同体の存在に目を奪われたことを意味する。

 企業のスキャンダル。1人の人間として「やってはいけないこと」と分かっていてもついつい、「会社のため」ならやってしまう人。個人の命運をすべて特定の組織に託した以上、その組織の評価がすべてになり、その組織の論理で動くようになる。逆に組織の論理や意図が不明確であるときに、不安を覚え、そこで「忖度」という現象が生まれる。個人単位の思考や判断を超えて、組織に依存することにより組織「疑似社会最小単位」に黙認・誤認され、やがて日本人の「初期設定」になってしまう。

 そんな組織が崩壊しようとしている。その崩壊を引き起こすのは、インターネットの情報化社会である。

 第一次産業革命は農耕・地方社会の工業化・都市化、第二次産業革命は鋼鉄・石油・電力等新産業の誕生と大量生産時代の到来。これにより世界は分散から集中分断から融合への本質的な変貌を遂げる。社会構成の最小単位の集結が社会自体の進化を推し進めたようにも見える。

 質的変化の予兆を見せたのは、第三次産業革命。殊にインターネットの浸透は第一次と第二次の産業革命である「量の革命」を、「質の革命」へと昇華させようとしている。「分断されていた情報の共有」という「分断の解消」から生まれるのは、組織や社会や世界の「分化」である。情報が世界を1つにすることから生まれるパラドックス(逆説)的な結果である。

 共同体として機能してきた在来型の企業組織の存在意義が低下している。時空の軸を飛び越えて、個人が世界のどこにいても仕事ができるようになる。さらに人に取って代わるAIの誕生や成熟がこれでもかと生身の人間から仕事を奪っていく。いよいよこれからはそうした第四次産業革命の時代に突入しようとしている。デジタル革命によってその技術が社会内や人体内部にすら埋め込まれるようになる。

 第三次と第四次産業革命はまさに超高温の「熱」となり、ある種のビックバンを引き起こす。社会を構成する最小単位は否応なしに、個人単位に分化する。企業組織という共同体は自己保持のための肥大化よりも、個人を単位としたビジネス・ユニットが取引を行うための市場プラットフォームに変質する一方、国家という共同体は軍事・国防機能やベーシックインカムによる国民の基本的生存権保護機能に存在形態が集約される。

 第一次・第二次産業革命時代に形成された秩序は第三次産業革命によって一旦崩壊し、新たな秩序が第四次産業革命の下で形成される。「分断」によって「分化」が生まれる。今は、そんな時代に差し掛かっている。

 

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