偉大な詩人と最底辺の無頼漢、金子光晴の「自由」とは?

<前回>

 バトゥパハ市内に目立たない壁画街がある。そのなかの1枚が、太平洋戦争中のバトゥパハにおける日本軍と英軍の様子を描いたものだが、説明がマレー語のみで参照資料も少ないことから、残念ながら精確な解読を断念する。

 戦争と金子光晴の関連性といえば、まず「反戦詩人」という肩書を想起する。歴史に「もし」はないというが、あえていうなら、「もし、日本が太平洋戦争に勝っていたら、金子光晴はどんな評価を得て、どんな地位に置かれたのか」と問いたい。「毀誉褒貶、時とともに遷る」との一言で、金子はおそらく光を浴びることはなかったろう。それどころか、息子の徴兵忌避で罪を問われていたかもしれない。

 1944年11月、長男に徴兵召集令状が送られてくる。金子は息子を戦場に送り、無駄死にさせたくなかった。そこで、仮病に仕立て上げることにした。長男を応接間に閉じ込めて、生松葉を燃やし、モウモウと噴き上げる煙で燻いぶして肺や気管を痛めたり、雨の夜に、素っ裸にした長男を長時間、外に立たせて風邪を引かせたり、本を詰め込んだ重いリュックを背負わせて、夜中に坂道を何度も登り下りさせて体力を損なうという鬼のような荒行を課したのである。その「成果」があってか、長男は気管支喘息の症状が加重し、ついに「召集猶予」の判断が下される。

 1945年3月、2度目の召集令状が届く。当時、長男は親から発症させられた気管支喘息がまだ十分治っていなかったが、金子夫妻はさらにその症状を悪化させるために、まだ寒い季節だというのに、長時間、長男を冷たい水風呂に入れる。見事に症状が悪化し、前回と同様、召集の一時回避を勝ち取るのである。そのような執念の時間稼ぎのなかで終戦となったため、結局、長男は徴兵から逃れた(ジョーナリスト福永勝也『反骨,離群,そして抵抗の詩人,金子光晴のパリ彷徨と「ねむれ巴里」』より抜粋引用)。

 これこそが金子の反戦の実相である。反戦だから、徴兵忌避は正当化できるのか、私は「NO」だと思う。どんな時代、どんな国、どんな状況であれ、戦争そのものの善悪に関係なく、国民義務の逃避、詐欺罪を問われる立派な違法行為である。戦争が悪だから、戦争の法も悪法。悪法は守る必要などない。と、金子が考えたのだろう。大きな間違いだ。

 「悪法もまた法なり」。古代ギリシャの哲学者ソクラテスが、悪法に基づく裁判によって死刑判決を言い渡され、弟子たちが脱獄を勧めたときに発した言葉である。ソクラテスは最終的に悪法の下で逃げずに死を迎え入れた。学問と実利、その選択を前に、金子は敗者となったのである。法を破る唯一の正当な手段は政権転覆を目的とする暴力革命だ。残念ながら、金子には反戦詩人から革命家まではまだ相当な距離があった。

 金子は「自由」をこよなく愛し、主張し続けた。人間はもともと誰もが野生動物のように自由だった。自由のあまり、他人の自由を侵害することも自由とされた。それでは困る。身の安全や財産の安全をすべて自分自身の責任で守るには難しすぎる。だから多くの個人が集まって、共同の防衛契約をしようと。その契約は「社会契約」という。その契約のもとで、国家が生まれる。

 つまり、個人は一部の自由(権利)を放棄し、不自由(義務)を引き受けることにより、内外敵の侵害を排除し、個人個人の安全を守る仕事を国家に委託(外注)するという仕組みだ。

 近代的社会契約説は、カントやヘーゲルらを経て、ジョン・ロールズらの現代的社会契約論に承継・発展されている。近代的社会契約説の基礎は、本性的に自由で孤独な個人として生まれたひとが、しかし自然状態では維持不可能となり、集団生活、社会が必要となることによって、社会契約を結ぶという構図であり、これは、17世紀のホッブズやロック、18世紀のルソー、そして20世紀のジョン・ロールズやロバート・ノージックに至るまで伝統的に継承されている。

 金子光晴は人間生まれつきで有した自由で孤独な個人という自然状態を維持しようとした。しかしこれが不可能だ。彼がその不可能を実感できないのは、実際にすでに社会契約による保護下に置かれていたからだ。彼はこの保護の受益者でありながらも、自覚を持たなかったし、責任や義務を果たそうとしなかったのだ。

 彼が完全な自由で孤独な個人という自然状態を維持しようとするならば、社会契約を解除し、国家保護から離脱し、原始林の中で完全に自給自足の生活を送らなければならない。すると、彼が書いた詩も市場を失い、彼や彼の妻が好む自由奔放な異性関係(不倫)もすべて喪失する。なぜなら、男女関係そのものが社会的関係であるからだ。国家保護から離脱すれば、レイプされても相手の罪を問えなくなる。他人の自由を奪う自由も認められるからだ。

 反戦だから、徴兵忌避してもいいというなら、会社方針に賛同しないサラリーマンが仕事を放り出してもいい、そういうことになる。でも、給料だけはもらいたい。そんな虫のいい話はありはしない。

 反戦やら反権力やら、外界の有りと有らゆる社会常識や規律に左右されない、自由奔放な詩人。金子光晴のこの種の評は聞こえはいいが、中身を噛み砕いてみると、いろんな矛盾が出てくる。「反権力」も上記の社会契約説に照らせば、明白だ。権力とは社会契約の下でできたものだ。反権力というなら、「権力がすべて悪なのか」という問いにまず答えなければならない。国家という権力機関から様々な利益を得ながら、義務だけは果たしたくない。あまりにも虫がよすぎる。

 金子は息子の徴兵忌避だけではない。彼がパリ滞在中に何をやったのか――。

 過去の経験に基づいて始めたのが、金子光晴のパリ彷徨と春画の謄写版刷りの密売である。……パリにおける日本人社会でのトラブル処理、主たるものは金銭トラブルの示談請け負いというヤクザ紛まがいの仕事にも手を染めている。さらに、博士号論文の執筆に苦吟している日本人の大学院留学生のために、金子は自身の専門分野とはまったく異なる農業の博士論文の下書きを、何冊もの専門書を読んで仕上げてやったこと(卒論代筆)もある。

 詐欺師と謗そしられても致し方のないようなあくどい事もやっている。生活に困り果ててパリの路上で物乞いをしている日本人を目撃した金子は、日本大使館に駆け込んで日本の恥だと、なぜ救済しないのかと駐在大使や武官に激しく詰め寄る。そしてその直談判の後、金子自身が救済に当たることになって相当額の対策費を受け取るが、その資金が当該目的に使われることはなく、すべて光晴の遊興費として消え去るのである(横領)。

 この件に象徴されるように、当時の金子は無頼なブローカーのような仕事もしていたわけで、実際、日本人コミュニティで強請り集りといったヤクザのような仕事を生業としていた不良画家と親密な関係にあった。

 到底、詩人とは思えないこのような行状は在留邦人の間で広く流布されていたようで、巷で金子は物騒な人間で近寄らない方がよいと囁ささやかれていた(ジョーナリスト福永勝也『反骨,離群,そして抵抗の詩人,金子光晴のパリ彷徨と「ねむれ巴里」』より抜粋引用)。

 戦争が悪だから、徴兵から逃れても悪にならない。生存本能があって生き抜くためには、詐欺、横領、密売、学術不正、ヤクザ紛まがいの仕事、これくらいなら許されて然るべし。そのどこが悪いのかと金子はそう思ったのだろう。社会契約を締結していない人なら、まったく正当な所為である。

 詩人金子光晴の詩作や文筆はおそらく素晴らしいものであろう。私は文学者ではないし、評論する立場にない。それよりも、金子がもつ「無頼漢」という顔、いかにも赤裸々な本能の剥き出しで一片の覆うものすらない。一般社会において恥部化される深き闇であっても、社会契約を解除した原初的「自然人」であれば、非難されるべきものは皆無といっていい。「無頼漢」という概念は存在しないからだ。

 残念なことに、金子は彼が夢想し、憧れていた「自由」な時代に生まれなかった。その反面、金子の才能はまさに「不自由」から生まれたものだといっても過言ではなかろう。

<次回>

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