「不安時代」の正しい逃げ方

 「不安」はどこから生まれるかというと、「想像」。悪いことが起こるのではないかという「想像」はどこから生まれるかというと、マイナス「情報」

 そこで、マイナス情報に拒絶反応を起こし、メディアに「煽るな」と怒りをぶつける。自分の願望を否定する反証を否定する一方、「安心」にありつきたくて良い方向を裏付ける情報、プラス情報を意図的に集めてしまう。つまり、希望的観測だ。

 先行きが見えない、不確実性の時代になればなるほど、人間はこのようなバイアスがかかりやすい。この操作(からくり)は、不安を打ち消し、不安から逃げ出すための麻薬でしかない。

 「逃げ」は決して悪くない。ただこの時点ではない。

 「不安」の先には、何があるかというと、悪いことが実際に起こってしまった場合、「不安」「恐怖」に変わる。恐怖と向き合って取り得る選択肢は2つしかない――「闘争」「逃走」

 「戦うか逃げるか反応(Fight or Flight Response)」は、動物の恐怖への反応で、差し迫った危機的状況において、戦うか逃げるかで生き延びようとする本能だ。だから、逃げは間違っていない。ただ不安段階における情報操作でなく、恐怖段階における(反応での)逃げである。

 最悪に備えて必要とされるのは、「戦う力」「逃げ道」、あるいは両方である。不安がこの準備作業のエンジンになる。「備えあれば憂いなし」というが、要するに「不安」は「安心」の源泉である。

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