日本人の間違った「人脈観」、いつまでも上昇気流に乗れない理由

 以前私が留学で通っていた中国の名門ビジネススクールCEIBS。特に私が在籍したEMBAコースの学生(OB・OGも)には、元国家元首級の人物の子女から上場企業の社長や上級幹部、有力民間企業の資産家オーナーまで中国の政財界の有力者が揃っている。

2007年5月中欧国際工商学院(CEIBS)上級経営学修士号(EMBA)を取得

 正直、学究の世界よりも社交の世界だった。それこそ人脈拡張目的で入学した人も少数ではない。つまり同等レベルの有力者がお互いに所有する資源を交換し、「Give and Take」という利益共有・拡大を目指す貴族インナー・サークルだ。

 権力、財力と知力の結合で富を肥大化させると。

 ここ数年、単純に中国の人脈を得ようと、同校に留学する日本人学生が増えている。しかし、実際に留学中に得た人脈を生かしている人がどのくらいいるだろうか。それは日本人学生にどのくらいの利用価値が認められるかにかかっている。一方的な「Take」のみを期待する衰退国家日本の人は、真の人脈の輪(インナー・サークル)に加わることは極めて困難であろう。

 「利用される」とは決して悪いことではない、価値のある証拠だ。利用される価値、つまり利用価値のない人で他人を利用しようとしているだけでは話にならない。虫がよすぎる。そんな下心をもって巨額の学費投資を無駄にするのがオチ。

 人脈、できるだけたくさんの人脈をつくったほうがいい。あらゆる機会を使ってせっせと人脈づくりに励む日本人は少なくない。ビジネスもそうだが、いざというときに頼れるのが人脈であって、人脈は多いに越したことはない。しかし、人脈の本質とメカニズムを理解しておかないと、人脈はただの「人」で、「脈」にならないのだ。

 「人脈」とは、当事者がそれぞれ所有する知的・物的資源を相手に対等に提供し、互恵互助を目指すことである。「Give and Take」というインタラクティブな均衡関係をなくして、人脈の存在意義が失われる。膨大な時間、労力と金銭(資源)をかけて築き上げるいわゆる人脈は単なる幻覚にすぎない。

 まずは、限られた資源、特に時間資源を勉強(資格取得とかではない)、つまりに自己の「利用価値」の増強に投入すべきだろう。無意味な人脈づくりは、甚だ人生の浪費にほかならない。いつまでも、上昇気流に乗れない。

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