マレー人と華人の能力差、マハティール氏の「差異論」がなぜ素晴らしいか

 マレーシアのマハティール元首相は1月5日CITYPlus FMの取材に応じて、種族の問題に触れ、マレー人に比べて華人はあらゆるチャンスをつかんで生かすので、公平な競争下ではマレー人が華人と拮抗することができないと指摘し、次のように語った――。

 「それが政府の干渉を必要とする原因なのだ。政府がマレー人を手助けしないと、彼たちは何もできない。華人に平等な機会を与えると、マレー人は間違いなく負ける」

 「英国植民地時代には、華人は大きな事業ができなかった。大型事業はすべてイギリス人に独占されていた。華人は小さな店しか開くことができなかった。郭鶴年(ロバート・クオック)は特例的に独占事業ができたが、あくまでも特例だ。ほかの華人はみんな大型事業から排除されていた。華人系のOCBC銀行は零細銀行で企業に融資すらできなかった。しかし、マレーシア独立の当日に、2社も華人系企業が銀行ライセンスを申請したのだった(メイバンク銀行(後変更)とUMBC銀行)」

 「マレーシア独立後、マレー系政府の下で、英国植民地時代にできたさまざまな華人に対する制限が撤廃された。マレー人がマレー人を手助けしようとしなかった。華人がどんどん良くなって、マレー人はただ指をくわえて傍観していただけ。華人はビジネスにおける自由をどんどん手に入れた。この事実はずっと見落とされてきた」

 種族の優劣でなく、ビジネスの能力差があったことを、マハティール氏が認めていた。デリケートな問題だけに氏の言説は「差別」と捉えられ、叩かれてもおかしくない。けれど、氏は忌避することなく何度も持論を展開してきた(参考記事:『「マレー人は華人と競争できない」、マハティール氏の堂々たる「差異論」』)。マレー人が弱者だということを認めないと、助けようがない。

 しかし、日本社会での弱者救助がはるかに厄介だ。

 まず強弱の能力差を認めてはいけないのだ。認めたらただちに「差別」のレッテルを貼られる。弱者ができた原因は、外在的でなければならない。政治が悪い、社会が悪い、制度が悪い、強者が悪いと。人間の生まれつきの能力差を認めてはいけない。基準を後進(弱者)に合わせて設定しなければならない。

 日本社会の弱者は善であり、正義であり、倫理的優位性を有している。だったら、やるよりやらないほうがいいと、偽装弱者も続出する。強者や富者が影に隠れたり、国から逃げ出したりする。

 だから、日本の衰退が当然の帰結である。中国に抜かれ、台湾にも香港にもシンガポールにも抜かれ、アジアの三流国に転落する。このままだと必ずそうなる。断言してもいい。

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