民主主義が独裁専制に負ける日、日本人が陥る罠とは?

 台湾の選挙を眺めていると、国家戦略を語る場面はほとんどない。

 台湾も日本も変わらない。大衆のルサンチマンで成り立つ民主主義の醜態は、見るに堪えない。目的はたった1つ、票である。そういう意味で、習近平中国の「独裁専制」は勝っている。民主も独裁もどっちみち経済的利益だから、勝ち馬に乗るのが一番。これからはしばらくは中国だと思う。台湾が中国領になるのも必然的帰結だから、善も悪もない。

 米中間選挙は全体的に民主党の勝ちだ。トランプの2024年大統領選は厳しい。このままでは、民主主義が独裁専制に勝てない。中国に有利な情勢が展開し、数年のうちに中国が米国を凌駕する。日本どう転がっても属国なら、米中の二重属国になったほうが有利。

 日本人は、アングロサクソンに臣服しても、同じ黄色人種の中国人の下に置かれたくない。それが脱亜入欧の原点なのかもしれない。しかし、ある日、中国人がアングロサクソンを凌駕したとき、日本人はどうするのか?米国が必死になって中国を潰そうとしているのは、イデオロギーよりも人種優位性の逆転という秩序改変を許さないからだ。

 かつて日本がアメリカを凌駕しようとした時代に、アメリカは中国を使って日本を潰した。今中国がアメリカを凌駕しようとしていると、アメリカは日本を使って中国潰しに取り掛かった。

 アングロサクソンは、アジア黄色人権の超越を絶対に許さないからだ。更にいうと、アングロサクソンを超越できるのは黄色人権だけだ。上下関係の確定したアメリカとカナダは戦わない。しかし上下関係の確定を許さない日本と中国はいつまでも戦う。アングロサクソンにはそれを利用しない手はない。

 日中の上下関係はとっくに確定している。アメリカが日本を使って中国を叩いていることはそれを示唆している。

 善と悪、白と黒。――世の中を二極化、単純化するのは、支配者。彼らは常に善側に立ち、悪と戦う必要があるからだ。しかし、濃淡があるものの、世の中はほぼ全てグレー、グラデーションである。それを認識できない人がほとんどであるから、支配はうまく行くのだ。

 民主も独裁も共通している。民主主義国家のあなた、独裁は悪だと思っていのか?2年前までは、私は「脱中国」論派だった。ただ現実を見て、エネルギーや農業をもつ米国を除く日本や欧州ないしアジア諸国にとって、脱中国は不可能であることが明らかになった。

 「脱中国」は、正論だとしても、既に空論と化した。さらに米国民主主義の腐敗と堕落を見て、正論かどうかも定かではなくなってきた。中国批判()は脱中国()から乖離し、一種のポリコレになり、負け犬の遠吠え、傷の舐め合いに成り下がった(ガス抜きは、メンタルケア上一定の効用があるかもしれないが)。いかにも情け無いことであろう。

 バリ島のG20を見ると、中共20回代表大会で不動なる支配者の地位を固めた習近平に対する各国首脳の姿勢が変わった。中国の時代になった。どんな嫌な感情を持っても、これが現実である。

 一度整理して、論理的文脈を作ってみたい――。

 1. 太平洋戦争。日本は、白人植民地からアジア諸国を解放した。
      ↓
 2. 日本は白人を敵としアジアの味方である。
      ↓
 3. 日本は敗戦、敵だった米国の手先に、アングロサクソンの事実上の属国になった。

 4. 同じアジアの中国がアメリカ、アングロサクソンを超越しようとしている。
      ↓
 5. 日本は論理2を捨てて、論理3を取って中国を牽制する立場を選んだ。なぜ?
      ↓
 6. 論理2と論理3の倒錯を解釈するにはたった1つの論理7しかない。
      ↓
 7. 日本人は自らアングロサクソンを凌駕し世界のトップに立とうとしたが、それが失敗した場合、少なくともアジア黄色人種のトップに立たなければならない。
      ↓
 8. 日本人の対中経済的依存精神的反中の矛盾が生まれた。
      ↓
 9. 事実認識から逃避する日本人は、価値判断で糊塗する――。中国の非民主的体制が悪だ(たまたまアングロサクソンの論理と一致した)。

 こんなところではないだろうか。論理9の「事実認識」と「価値判断」の混同が最大の問題だ――。

 事実認識=花が赤い。
 価値判断=花が美しい。
 事実認識=中国がお金持ちだ。
 価値判断=その稼ぎ方が悪だ。

 日本は中国に負けている。しかし、負けという事実を認めたくない。「悪」に負けてはいけないという思いがまさに「事実認識」から乖離する「価値判断」なのである。

 日本は無理して中国と仲良くする必要はない。ただ米国の飼い犬で中国に吠えるのが見苦しいし、中国にも見下される。日本は主体的に国益を前面に自らの出方を決め、中国と付き合えばいい。正直に言って人権などは立派だが、日本はうまく人権カードを使いこなす能力を持っていない。無理しない方がいい。

 たとえ負けても再起すればよい。韓信の胯下之辱(股くぐり)、そして呉越王の臥薪嘗胆。日本は、中国に頭を下げて、敗けを認め、そして再起を決意することができるのか、それは国家や国民の器で決まる。負け犬の遠吠えだけはもう、やめよう。品格の問題だ。

 最近、ポーランドでのミサイル着弾事件も含めて、西側発表ではこの手のウクライナ批判情報が流れ始めた。米中間選挙という節目があって直近のG20でも、「空気」の切り替えを感じずにいられない。当初から指摘してきた通り、ウクライナは捨て駒になる(台湾も然り)。「侵略が悪」ならば「被侵略への非難も悪」になる。この類の命題も仮説も議論も明らかに無意味である。ナイーブなウクライナ支持者たちも然り。事実認識と価値判断の区別ができないのが問題だ。

 最後に付け加えよう――。国際政治には、善悪なし。したがって、善悪の価値判断それ自体が無意味だ。

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