傲慢な民主主義は、民衆を滅ぼすのみ

 G20で撮影された中国の習近平国家主席とカナダのトルドー首相の会話。大方の西側メディアは、習近平の「説教」や「苦言」とし、批判しているが、事実は全く違う。説教でも苦言でもない。

 経緯・趣旨からして、外交の場ではむしろはっきり言わなくてはならないことである。言語・表現からして、原文の中国語は、極めて温和で礼節あるもので、説教にも苦言にもあたらない。人種・文化からして、西側白人に対してはむしろ、先方の習慣に従って明確でストレートな表現・言明が必要である。

 私はこの度の習近平の姿勢を高く評価する。日本人政治家、外交官は見習うべきだ。

 西側のメディアは、民主主義が独裁専制に勝るという固定観念、ひいてはアングロサクソンの優位性に立脚し、西側が中国を批判したら拍手を送り、逆になったら中国を非難するというまったく非論理的、非民主主義的な姿勢から脱出せずにいる。いかに見苦しいか。

 民主主義は多様性を容認する。ならば、多様性の1つである独裁専制を排除すること自体が民主主義の原則に反する。民主主義は、独裁専制の存在、棲み分けを認めるべきだ。片方が片方を滅ぼすのでは、戦いが終わらない。

 私は西洋文明の中、西洋哲学やマキアヴェッリズムだけは敬意を払って勉強してきたが、フランスの「ギロチン革命」以降のいわゆる近代民主主義に関しては、一種のファッション、体臭を隠す香水と捉えている。その軽薄さはいつまでも払拭されないまま、ついにそれ自体が最大のポリコレと化した。

 傲慢な民主主義は、民衆を滅ぼすのみだ。

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