悪人が悪事を為す、だから世が良くならない?

 トランプ好きでプーチン嫌いという人は、トランプのプーチン好きをどう捉えるか。その矛盾から逃げる姿勢を取る。触れないようにする。トランプ好きで自ずとバイデン嫌いだが、ではプーチン叩きのバイデンは好きになるかというと、またもやその矛盾から逃げる。さらに習近平が出てくると、より複雑になる。なぜ、そうなるのかというと、主に3つの特徴(原因)が絡み合っている。

 1番目の特徴は、「事(What)」よりも、「人(Who)」を中心に捉えること。その裏に教育の問題も大きい。単純な善悪二元論の教育を長く受け、プロパガンダに洗脳された(保守も同じ)結果と言っていい。善悪は「事」よりも「人」指向がより明確で、悪人が悪事を為すと脊髄反射する。対事分析は高度の論理性(事実認識)を必要とするが、対人評価は善悪の分類(価値判断)で簡単にできる。言ってみれば、思考停止の典型例である。

 2番目の特徴は、自己利益を中心に捉えること。習近平や中国共産党政権は悪人(Who)で、何をやっても悪事(What)だ。だったら、悪への経済的依存から脱却し、脱・中国サプライチェーンの行動を起こし、高コスト・高物価を喜んで受け入れることが当然ではないか。いや、それだけはダメ。表の大義名分と裏の自己利益、「心は反中、財布は親中」という矛盾が生じる。この矛盾からは、また逃げる。

 3番目の特徴は、希望的観測を中心に捉えること。上記のような矛盾を抱え、その矛盾の説明ができないと、都合の良い情報ばかり仕入れ、その矛盾を露呈させるような反証から逃げる姿勢を取らざるを得ない。その論理的脆弱性を補うべく、集団による排他的な相互承認を必要とする。SNSの発達は相互承認に大きく役に立つ。非論理性からの逃避はしばしば、「負け犬の遠吠え」化する。

 この3つの特徴は、いわゆる「大衆」の特徴と言っても過言ではない。民主主義であれ、独裁専制であれ、支配者階級のエリートたちは、大衆の特徴をよく知っている。この特徴を利用して、統治を行うわけだ。少数が多数を治めるには、一定の技術ないし芸術が必要だ。繰り返すが、民主制も独裁制もこの点においては共通している。

 そして、最後に補足しておこう。プーチンが負けてロシアが潰れても、習近平政権が崩壊して中国が民主国家に生まれ変わっても、トランプが2024年にアメリカ大統領に復活しても、大方の不幸な人たちは何ら変わらない。依然として不幸であって、もっと不幸になっていくかもしれない。

 なぜなら、世が変わらないことを知らないからだ。そして、自分を変える方法も知らない、いや、知ろうとしないからだ。

タグ: