日本人の「匿名陰湿さ」は世界一、その結果とは?

 日本人は世界一陰湿。「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人がいなくならない理由」(2023年7月20日付ダイヤモンドOnline)は、こう指摘する――。

 「『匿名文化』が誹謗中傷の『陰湿さ』に拍車をかけている」「自分の名前も素性も知らない人たちの前で、しかも見ず知らずの他人に対してならば、いくらでも罵詈雑言が吐ける」「社会的地位も脅かされない、人間関係も崩れもないという『安全地帯』にいるからこそ、心ゆくまで陰湿な誹謗中傷ができる」と。

 日本人の「匿名陰湿さ」は、間違いなく世界一。中傷誹謗までいかなくとも、堂々と意見ができない、議論できない。匿名という「安全地帯」にいれば、「安心」して言いたい放題できるから、楽だ。楽だから、いつまでも幼稚のまま論理的議論力を鍛えられない。非常に残念だ。

 日本人の国民病、匿名誹謗中傷問題。その根源は、日本人の議論の「対人性(Who)」にある。試しにフェイスブックを見ても、論理性の低い人の投稿は、軒並み対人。「誰々が…」「あの人の言うことだから信用できない」などなど、対事(What)の論理的な判断ができない。

 だから、日本人には幼稚性が付きまとう。

● 事例学習

 私に対する匿名投稿事例を紹介したい。とはいっても、私に対する誹謗中傷となるような匿名コメントはそれほど多くない。だから、追跡や特定、法的手続きなどは必要なし。直近の匿名コメントA――。

 「立花先生は本当に面白い方ですね。上記(日本は病んでいる美人説)のようなことを言われて不愉快に思わない国の人は、ほとんどいないでしょう。もちろん、どの国にも『その通りです。我々は反省して前進しなければなりません』という謙虚な人はいるでしょうが、少数派でしょうね。逆に、そんな謙虚な人ばかりの国がいるのだとしたら是非教えてもらいたいです。立花先生だって、『あなたは、醜く太っている金持ちだ』と言われていい気はしないと思います。自分のことだったらまだしも、奥様のことを言われたらどうでしょう?多くの人間はこうした議論のときに自分の国を擬人化して自分と同視化しますから、感情的な反応があるのは当然のことだと思います。これは日本人に限らないことですね」

【立花回答A】

 仰ることは正しい。二八法則の通り、8割以上ほとんどの人はあなたの言う反応をする。だから頭数で決まる民主主義国家は悪化するのみだ。ただ私自身は繰り返してきたように、2割以下の少数派で、「醜いデブ」だろうと「奥さんがブス」だろうと何を言われようと、「見られ方」を全然気にしない、心臓に毛が生えてる人なのだ。

 それをあなたは理解できないだろうが、あなたの理解を求めるつもりも全くない。あなたはフェイスブックに直書き込みする勇気と自信すら持てないクズだろう。いや、気にしないでください。私がクズでもいい。ただ、あなたとは違う人間であることだけは証明されて良かったと思っている。あなたと私のOSが違う。善悪ではない。通じ合えない。それだけの話。

 「醜いデブの金持ち」について、怒るどころか、噴き出してしまう。まず、「醜いデブ」はその通りの事実であるから、素直に受け入れるしかない。「スリムなハンサム」と言われた方が要注意なくらいだ。その上、私は他人にどう見られるかを気にしないタイプで、また「醜いデブ」の現状を変えるつもりも全くない。
 
 ただ、「金持ち」というのは、ちょっと違う。日本国内は知らないが、私のようなレベルでは世界基準の金持ちの足元にも及ばない。結論から言うと、「金持ちにもなれない醜いデブ」が正解だ。

 匿名者がまたまた匿名コメントBを送ってきた――。

 「いやー、立花先生。大人になりましたね。10年ぐらい前(だったかな?)に、先生が『必要であればいつでも真っ先に戦争で戦う』って威勢のいいことをブログにお書きになっていたことがありました。そのときKさんが「言葉は格好いいけど、お写真の体つきをみる限りはとても無理そうですよ」と皮肉ったコメントを書き込んだら、怒り狂ってKさんのコメントを削除されました。まあ、覚えておられないかもしれませんけど…。人間って成長するんですね。いい実例を見させて頂きました」

【立花回答B】

 あなただけは、10年経っても変わっていない。クズのままで匿名コメントを続けている。近代戦の意味すら理解していない。「デブ」が戦争に参加できないと思い込んでいる。

● 匿名投稿の結果

 私に対する匿名コメントのほとんどが、私の「矛盾」を暴くことを目的とする。例えば、私が「必要あればいつでも戦争で戦う」と言ったところ、「こんなデブ親父ではできないだろう」という矛盾を暴き出す。そこで「戦争」という定義をまず理解する必要がある。近代戦は、軍事作戦である以前に、情報、宣伝、経済、外交、心理戦である。

 だから、戦車を走らせ、爆弾を浴びて最前線で戦うのは、ほんの一部の戦争参加者にすぎない(もちろん重要だ)。それ以外の戦争分野では、年齢や体重体形に制限をほとんど設けられていない。そういう「戦争」の定義が定まらないまま、議論に突入すると、論破されるのが目に見えている。申し訳ないが、「デブ親父の戦争参加」という題目を見た時点で、思わず噴き出した。

 多くの日本人は「匿名性」を好み、そういう意味でいささか陰湿ともいえる。なぜなら、実名で意見する場が少なく、普遍的に論理力も低いからだ。匿名の場合、一気に「安心感」を得、日常的にたまったストレスが発散できるから、効果絶大だ。ただ論理力が付いていないので、すぐに論破される。論破されると、論理のすり替えをしたり、話題を変えたりする。その場合、実名ではなかなかできない。匿名なら、いくらでも仮装変身できるメリットがある。

 匿名のこの「気軽さ」があって、発言者は入念に概念を定め、論理や文脈を組み立てる必要がない。そうすると、論理力は一向に上がらない。論理力が上がらないから、ますます「匿名」に依存する。そういう悪循環に陥る。本当に、お気の毒だ。

 匿名投稿の無責任性と卑しさ、多くの人から指摘されている。それは投稿者自分に対する無責任さだと思う。匿名であれ、実名であれ、名前は一種の符号にすぎず、その符号には自分の人格が凝縮されている。そのことに自覚がないことだ。

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