偽物を買う人の論理と売る人の論理

 私のフェイスブック投稿に疑問を提示し、立花聡公式サイトの過去記事に匿名コメントを寄せた人がいた。お答えしよう。

【コメント】

 「日本の中華は98%がフェイクだ。私は以前横浜中華街のレストランにスタッフの賄い料理をお金払って食べていた。中国人は絶対に外国人に本物中華を食べさせない。ほとんどの日本人は一生一度も本物中華を食べたことがない。中国人が外国人に売っているのは、外国人の好みそうな偽物中華だ」

 立花先生がおっしゃることはごもっともです。でも、立花先生は海外の日本食に関しては、ニセモノであっても売れる日本食がいい日本食だとおっしゃられている。海外で本物の日本食を追求するのは自己満足で馬鹿げているとすらおっしゃられている。だったら、「偽物中華」を喜んで食べる人に対して批判をするのは、おかしいんじゃないだろうか。

 もしそうするなら、海外で外国人向けの売れる日本食も偽物日本食であり、それを食べる外国人も一生に一度も本物の日本食を食べられないフェイク愛好野郎と言わなければならない。立花先生はこのような自分の発言に対して矛盾をお感じにはならないんですか?すごく不思議です。

【回答】

 まず、「偽物愛好家」を「野郎」と蔑称するのをやめてもらいたい。2つの異なる目線を私がずっと説いてきた――。ビジネス目線からすれば、海外市場の「偽物売り」が正しい。一方、私は1人の消費者としてはその顧客にはならない。ほかにもたくさんある。たとえば、ビジネスとしてフランチャイズが素晴らしいモデルだが、私は消費者としてそれを好まない。

 異なる視野、視点、視座によって見える景色が違う。それを矛盾と定義するのは、その人の目線である。この手のコメントを堂々と実名でフェイスブックに書き込めばいいのに、議論・反論が怖いのか?

 中国人は商人として非常に賢い。彼たちは自分で食べる本物中華と日本人(外国人)に売る偽物中華を区別しているのだ。本物中華を食べて偽物中華を売る。それが矛盾といえるのだろうか?

 一方、大方の日本人は職人であるから、海外で頑として偽物を拒み、本物和食を売ろうとする。これは確かに矛盾していないといえるかもしれない。だが、気が付いたら、売れたのは軒並み偽物和食だったりする。たまに「非国民的」な日本人もいて、偽物日本料理で外国人からお金をたくさん稼いでいるのだ。「NOBU」の松久信幸氏もその1人だ。素晴らしい経営脳の持ち主だ。

 マヨネーズギトギトの巻物を本物寿司と思って好む外国人客も、片栗粉ドロドロの麻婆豆腐を本物中華と思って好む日本人客も、売り手にとっていずれも良い客だ。ただ、私個人的にその良い客にはなれない。それが矛盾というのだったら、私は喜んで一生その矛盾を抱え続けたい。

 知人のマーケティング専門家いわく「世の中、もっとも売れる商品は、軒並み、無知の大衆向けだ」。支配者も然り。庶民大衆向けの3S+1(スクリーン(映画・娯楽)、セックス、スポーツ、+宗教)政策はその典型だ。3Sは愚民政策として有名だが、宗教とは?宗教は信仰と違って、産業であり支配のツールでもある。

 たとえば、どの宗教も共通している「善人は天国へ、悪人は地獄へ」というのは、大衆の恨み、ルサンチマン感情を薄めるための理論だ。しかし、支配者・特権階級は悪を極めているのではないか。彼たちは地獄をなぜ恐れないのか?彼らは確実な「此岸」(現世)を楽しんでいるが、大衆には不確実な「彼岸」(来世)を想像させている。

 これは決して矛盾ではない。戦略である。学問的には、帝王学に属している。

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