「上から目線」は必要だ、「上・止・正」の運用

 「上から目線」と、私はよく言われる。その時、私もしっかり「下から目線」を感じる。

 そこで、「上」から「下」への下方移動と「下」から「上」への上方移動といういずれかの方法によって、「横から目線」が実現する。日本の民主主義社会は、フラット社会とされ、「上下」が悪で、「横」が善。すると、常に「下」に基準を合わせ、常に目線の下方移動が求められる。それが日本人の凡庸化、日本国家の凡庸化につながる。

 私自身は「上から目線」を大切にし、常にそれに合わせて上方移動に取り組んでいる。すると、次第に横目線に到達し、さらに上下逆転もあり得る。上には上がある。「上から目線」を排除するのは、自分の下位性と凡庸性を容認し、上方移動の機会を自ら放棄することだ。
 
 「上」という文字に、縦棒を1本つけると、「止」になる。

 「上から目線」のすべてが上方移動につながるとは限らない。たとえば、金銭や権力の優位性を示唆するような「上から目線」は、必ずしも自分の上方移動につながるとは限らない。そのときは、その目線の受け入れを止めればいい。もちろん、逆手にとって自分を奮い立たせるためのパワーにするうえで、あえて受け入れるのも、大いに結構なことだけれど。

 ポジティブな「上から目線」であっても、すべてを無制限に受け入れる必要はない。たとえば、上方移動の意思がない(現状満足している)場合、あるいは上方移動の能力や運がないと判断した場合は、「上から目線」に無理して釣られることなく、適切な場所で上方移動を止めることが大切だ。人生の高みを目指すには、「上」を目指す勇気が必要だ。一方、状況判断しながら「立ち止まる」ことを決める知恵も持つべきだ。

 最後に、「止」という文字に、横棒をつけると、「正」になる。では、どの辺で「止める」ことを決断すべきだろうか。「天命」を知った時点で、止めるべきだろう。

 「天命」とは、天から与えられた使命のことである。人間は、一生頑張って、最後にやっと自分の天命を知る。頑張ることは、報われるためでなく、天命を知るためだ。現代風に言うと可能性を知ることだ。頑張ってみて、自分の夢が実現できずじまい、期待通りにならなかったことは、自分の天命がそこまでということだ。

 だから、私は夢を持たない。一度も持ったことがない。すると、少しでも前進すれば、喜び、幸せを感じる。各人の天命はそれぞれ異なる。他人の富や地位と比較して嫉妬するのが不幸のもと。人間同士で比較する唯一の指標は、幸せだ。夢を持たない、天命を全うする。それが幸せの極意。

 常に「上」を目指す。天命を知った時点で、「止」める。それが「正」しい人生だと、私はそう認識し、実践している。

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