● 開店!「日本クラブ」という国家型キャバレー
今宵もネオンが瞬く。「日本クラブ」――それは国家の皮を被ったキャバレーである。戦後以来、宗主国アメリカの上客をもてなすために存在し、永田町をネオン歓楽街に変身させた。店の経営資本は国庫、すなわち国民の血税。内装はきらびやかだが、帳簿をめくれば真っ赤な赤字が滲んでいる。
この店の営業方針はいたって単純だ。客を喜ばせること。媚びること。抱かれて褒められること。ママが誇り、客が笑い、株主が拍手すれば、それが「国際友好」と呼ばれる。誰も利益計算をしない。どれほど持ち出しても「信頼関係の深化」と言えば済む。こうして、日本の外交は経済取引ではなく感情商売へと堕落した。
いまやこの「日本クラブ」は、国家ではなく「被保護意識の集合体」である。かつての敗戦が洗脳を植え付けた――「守ってもらうことこそ正義」という信条だ。以来70余年、店は宗主国の笑顔のためにドンペリを開け続けてきた。

● ヒモ男トランプ――飲ませて払わせる天才
トランプはこの劇場の常連客である。外見は大統領、実態はプロのヒモ男。彼は他人の金で飲み、相手の承認欲求を満たしてやるだけで稼ぐ天才だ。テーブルに座るなり、「最高のホスピタリティだ」と言い、グラスを傾ける。店のママが財布を開くのを知っている。支払う気はない。むしろ飲めば飲むほど相手が喜ぶことを熟知している。
彼は政治の世界でも同じ手口を使う。関税を下げるふりをして、相手国の市場を奪う。防衛強化を説いて、兵器の在庫を売りつける。愛想よく握手して、裏で請求書を置いていく。だがママたちはその請求書を「友情の証」と信じて、涙ぐみながら支払う。
ヒモ男の天才はここにある。搾取を愛と信じさせる心理操作の芸術である。彼は戦争も取引も同じ発想で扱う。相手の自尊心をくすぐりながら財布の紐を緩ませる。今回の高市とのツーショットも同様だ。彼にとって、それは外交ではなく、商売上のリピーター確保。写真一枚で、日本という店の宣伝価値を最大化した。
● 貢ぎ早苗ママ――ドンペリ自腹の愛国芸者
高市早苗は、このクラブのママを自称する。しかし、店を守るどころか、客に貢ぐことを使命と信じている。彼女の外交スタイルは、まるで恋愛劇のようだ。トランプに再会すれば目を潤ませ、「盟友」と呼び、「光栄です」と頭を下げる。彼女にとって外交成果とは、合意文書ではなく、ツーショット写真とSNSの「いいね」の数である。
彼女は自らの笑顔を外交資源と信じ、国益をドレスの裾で拭い去る。アメリカの機嫌が国の安全を守ると信じ、従属を「同盟の証」と言い換える。だがその信仰はもはや政治ではなく、宗教である。“被従属教”の巫女としての高市早苗――その信仰は国家の尊厳を人質に取る。
本来、ママとは客を支配する存在である。愛想笑いの裏に計算があり、情の裏に損得がある。それがプロの誇りである。ところが早苗ママは、笑顔の中に計算がなく、情に損得がない。彼女の笑顔は、無償奉仕の笑顔である。これではもはや接待ではなく、自発的隷属の献身にすぎない。
ヒモ男が飲み、ママが払う――その異常な構図に恥じることなく、「日本の誇り」と言い放つ。その誇りが虚構であることを理解していない。もはやママではなく、自腹でドンペリを下ろす「国営ホステス」である。
● 拍手する馬鹿株主――ツケを払って笑う国民
だが、この物語の本当の悲劇は、ヒモ男でもママでもない。店の勘定を見ずに拍手する馬鹿株主たち、つまり国民(特に偽保守層)である。彼らはママと客の抱擁写真を「友情」と呼び、勘定書を「防衛費」と称して誇る。赤字は「必要経費」、屈辱は「国際協調」。現実を認めない株主ほど、経営を滅ぼす存在はない。
国民はもはや顧客でも監査役でもない。酔客であり、信者である。テレビが流す笑顔を見て「日本が評価された」と喜び、税金が消える音に耳を塞ぐ。株主総会では「ママの努力に感謝」と拍手が起こる。誰も損益計算書を見ない。店が沈んでも、「同盟があるから安心」とうそぶく。
こうして「日本クラブ」は、搾取されながら満足する構造を永続化させた。搾取を幸福と呼び、破産を平和と信じる――それが戦後日本の精神的ビジネスモデルである。
● ネオンの下の亡国劇
ヒモ男は今日も笑い、ママは酔い、株主は拍手する。ボトルは空き、ツケは膨らむ。国益はドンペリの泡のように消え、残るのは記念写真と空虚な称賛だけ。
このキャバクラ国家は、今もネオンを灯している。「お客様の笑顔が私の幸せです」と言いながら、国民の財布を差し出す。ヒモ男は微笑み、ママはうっとりと目を閉じ、株主は涙ぐむ。
そして夜が明ける。レジは空っぽ、店は傾き、看板だけが眩しく光る。――これが、属国という名のキャバクラ国家・日本の現実である。




