地球の定員、天国と地獄の定員で考える「少子高齢化」問題

 少子高齢化。

 一体、「少子」が問題なのか、「高齢」が問題なのか。あるいは、「少子」と「高齢」の一体化が問題なのか。まず、この問題の取り組みを見ると実に面白い。医学の更なる発展によって「高齢」の更なる強化がなされている。つまり、「高齢」は善として認識されている。いや、そう認識されなければならないのである。平均寿命の向上に異を唱える人はいない。いてもそれが言えない。言ったら、「じゃ、お前が先に死ねば」で議論を打ち切られてしまう。

 「高齢」が善であれば、「少子」が悪になる。どんどん産め産めと、「多子」が善とされる。もし、「多子」が実現したとしよう。すると、世界人口は70億から80億、90億、100億へと鰻登りする。そもそも地球の資源には限りがある。では地球の最大許容人口、いわゆる地球の定員はどのくらいだろうか。

 食糧科学者たちの話では、地球の定員は100億人程度が限界だという答えが多い。食糧よりも、石油などのエネルギーの問題、淡水の供給問題、温暖化による空気品質の悪化問題・・・。いずれにも生存の基本条件に関わる深刻な問題である。「世界人口会議」の記事を見ると、2070年頃に世界人口が100億人という定員数に達すると読み取れる。

 2070年か、私が存命していたら(死んでいるとは思うが、あくまでも自分に都合のよい仮説)、106歳の超高齢である。地球からの降車が一種の善となりうるのであろう。いやちょっと待てよ。もしや「高齢」そのものの問題ではなく、「老害」が問題なのか。であれば、「老益」になるよう頑張らないと・・・。

 いろんな宗教では、人間が死後に天国や地獄に行くと言っているのだが、天国と地獄には定員がないのだろうか。その意味でいえば仏教の「輪廻転生」には一定の説得力がある。要するに一定の数が維持されているのでバランスが取りやすい。では、地球上の全人口の増加はどう説明するか。天国地獄説者は絶対数が増える一方、輪廻転生説者は一定のレベルを維持する。という結論になるか。

 科学や哲学で説明、解決できない問題は、神学に頼るしかない。そういう時代がもうそこまで来ているのかもしれない。

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