ポスト日中友好手段派、本物の勝ち組は誰か

 「日中友好」――。これは死語になるのではないかと思うほど、最近周りから聞かなくなった。

 日中友好を唱える人間は概ね、「目的派」と「手段派」に分けられる。「目的派」とは、日中友好の無謬性を信じ、かつこれを目的として掲げる「原理主義者」である。これに対して、「手段派」は、日中友好をあくまでも商売などに都合の良い道具として使う人たちのことである。

 誤解なきようお願いしたい。私は「目的派」と「手段派」に善悪をつけるつもりは毛頭ない。「手段派」のことを「偽善」と批難する人もいるだろうが、それはやめてほしい。先日も書いたとおり、行動の動機と結果を切り離して考えるべきだ。動機が「偽善」であっても、結果が「真善」であればそれでいい。行動の動機よりも、結果を評価する。たとえ商売の動機が「偽善」であっても、結果として「友好」という「真善」が実現すれば、それは「良き偽善」である。

 私個人的には、一貫して「日中友好不要論」者である。「日中不友好」がもっとも自然であって、「不友好」という現実があってこそ「友好」が叫ばれているのだと、そう認識している。不友好の先にはいろんなリスクがある。仕事柄そうしたリスクを無視することはできないし、いやむしろリスクを露出させ、企業に防衛策を提示するのが自分の仕事なのである。

 自分にとって顧客を増やす意味では、中国に進出する日系企業が多いほうがいい。「友好」があったほうがいいに決まっている。「偽善」でもいいから、「日中友好」を声高に叫べばよかろう。だが、「友好」という「真善」が実現すれば、それは「良き偽善」だと先に言ったが、それは絶対的正論かというと、違う。「友好」を信じて騙される企業や人がいたとすれば、それは「悪しき偽善」になる。

 最近、さぞかし「友好」といえる状態ではないことが誰の目にも明らかになった。「友好」という手段は「手段」でなくなると、商売は商売でストレートに考えればよいと、かなりすっきりした。いや、でも商売もかなり厳しい。二つのキーワード「工場」と「市場」。「工場」はもう消えた。消去法的に中国に残されるポジティブ要素はいま、たった一つしか残されていない――「市場」。

 中国市場。そこには私の持論がある――。「中国市場」よりも「中国人市場」。中国人の本音と心、本当のニーズを捉え、中国人市場に食い込んで大成功する日本企業が本物の勝ち組である。善戦を期待している。

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