ベトナムの次はイランだ、フロンティアは西にあり

 私は年内か来年早々にも、イラン視察を予定している。いまはイランの勉強が始まっている。

 「ベトナムの次は、イランだ」。3年前の私の記事『ベトナムの次はどこ?市場の移動型寿命サイクル』(2016年10月18日付)、『中東が石油から引き離されたとき、大国ペルシアに答えを求めて』(2016年10月19日付)にこう言った。最近のイラン動乱をみて、ますます確信するようになった。

 これは、言ったように、トランプ政権は決して、イランと戦争しない。親米政権の樹立を目論んでいる。一度あったクーデターは2度3度あり得る。1979年から始まった米イランの敵対関係は、逆転する可能性がある。中国にとっての悪夢であろう。トランプ氏がこれを狙っているのかもしれない。

 今朝、1月15日付のウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が『イランは第2のベトナムを目指せ』と題した記事を掲載した。米ハドソン研究所のシニアフェロー、トッド・リンドバーグ氏はこう語った。

 「米国は1970年代、2つの大きな屈辱にまみれた。1975年にサイゴンが共産主義の北ベトナムの手に落ちたこと、そして1979年にイランの首都テヘランで米国大使館が占拠されたことだ。後者の事件では、米国人52人が444日間にわたり人質となった。……米国の国際人権団体フリーダムハウスの自由度ランキングでベトナムは100点満点で20点にとどまり、イランの18点をわずかに上回るに過ぎない。それでも、米国はベトナムと良好な関係にある。……確かに米国は、ベトナムの経済自由化が政治の自由化につながることを望んでいる。しかし、ベトナム共産党は、米国がベトナムの体制転換を求めている訳ではないことを十分に理解しているようだ」

 「恐らく、イランが米国に恨みを抱いているのは少なくとも1953年にまでさかのぼる。米中央情報局(CIA)が画策を手助けした同国のクーデターでパーレビ国王が復権した時だ。しかし、米国に対する多くの恨みはベトナムだって簡単に挙げることができよう。米国がイランとの間で抱える問題は、イラン国民との積年の敵意に根差したものでも、聖職者による独裁体制それ自体にあるものでもない。それは安全保障の問題だ。イランは修正主義国家であり、地域にとっての脅威なのだ。ベトナムはそのどちらにもならないことを決めた。イランも同じ選択をすべきだ」

 本質の指摘である。トランプ氏は、中国ないしロシア(特に中国)を最終的かつ最大の敵とみなしている。中国からのサプライチェーンの移出に、ベトナムが都合のよい受け皿になっていることは間違いない。ただベトナムは小国であり、パイが限られている。しかも、米国の対ベトナム貿易赤字が膨らんでいる(2018年までに米越間の貿易額は年間620億ドル超となり、両国間ではベトナムの貿易黒字額は380億ドルに達している)。長期戦略として、米国にはベトナムの「次」が必要である。

 アジア地域を見渡しても、ミャンマーがすでに脱落した以上、ベトナムに取って代わる「次」は存在しない。資本主義は常に西へ西へフロンティアを求めて移動するわけで、そこに横たわっているのはイラン。ペルシャ人は非常に優秀な民族だ。楽しみである。

<後続修正>

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