世の中は、嫉妬とソロバンだ

 「世の中は、嫉妬とソロバンだ」

 田中角栄の名言。ただし、日本人の場合二者の配分が悪い。ソロバンが下手くそで、嫉妬が異常なほどに強い。しかもソロバンの強い人に嫉妬心を燃やす。

 田中自身も嫉妬心の大集結で「焼死」された。もちろん嫉妬の人たちは最終的に自身が燃料になるわけだから助からない。燃料になってでもという嫉妬心理、本能は恐ろしい。

 そして、嫉妬心はソロバンに利用される。民主主義それ自体も嫉妬心という基盤に立脚している。

 強者や富者に対する怒りが多い。たとえば柳井正氏をボロクソ批判する人が多い。だったらユニクロを買っている消費者を批判するのが筋だ。まずユニクロのボイコットをやるべきではないか。資本主義の市場経済は供給と需要の自由結合。忘れるな!誰もユニクロを強制的に買わせているわけではない。

 私の「需要あっての供給」持論でいうと――。

 偏向報道のメディアを批判するなら、まず読み手の大衆を批判せよ。
 ユニクロの売国ぶりを批判するなら、まずユニクロを買う大衆を批判せよ。
 中国を批判するなら、まず中国サプライチェーンに依存する大衆を批判せよ。
 政治家を批判するなら、まず票を入れる大衆を批判せよ。

 民主主義、資本主義の基盤は大衆である。大衆の嫉妬心、ルサンチマン感情はソロバンに強い政治家に利用されている。

 バイデンのロシア資産没収は、大衆のルサンチマンを煽り、共産主義者のやることと何ら違いもない。資本主義の私有財産不可侵原則は既に破壊された。

 コロナも、ウクライナ戦争も、馬鹿発見器、人間分別機という予想外の「副作用」を持っている。馬鹿を炙り出したというと、逆に相手に馬鹿と言われたりする。どっちが馬鹿かはどうでもいい。違う人間グループを区分してくれる「分別機能」だけでも重宝に値する。「分別」の次に「処理」。注目していきたいと思う。

 私が定義する馬鹿とは、嫉妬心をもつ人ではない。嫉妬心をコントロールできない人で、しかも自分に不利であっても嫉妬心を燃やし続ける人たちだ。そうした人たちに1つの特徴がある。なんでも善悪の二元論を持ち出し、それでものを判断することだ。

 プーチンロシアの侵略は悪。ウクライナが善でゼレンスキーは英雄と未だにそう思っている人たちは、馬鹿としか言いようがない。もちろん逆にそう言われたら喜んで受け入れる。どっちが馬鹿かは問題ではなく、我々は違う人間だということだけは間違いないだろう。棲み分けが最善といえよう。

 自分より強い者、富める者を常に尊敬し学ぶこと。絶対に嫉妬心やルサンチマン感情をもたないこと(そこまでできなくとも、なるべく少なくもつこと)。気がついたら数年前の強者を追い抜いたりする。強者のことを藁人形にしても相手はおそらく弱くならないし、たとえその人が弱くなったとしても自分が強くなるわけではない。

 とにかく、自己強化しかない。

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