幸福と不幸(1)~貧しくても幸せ、フィリピン人のからくりとは?

 フィリピン人メイド(家政婦)はもう少しで、定例帰国休暇からクアラルンプールに戻ってくる。帰還便のWebチェックインをしてあげたのはいいが、本人のガラケーにデータ送信ができない難題が横たわる。仕方なく街の学校で働く彼女の娘さんに送って、学校で搭乗券をプリントアウトしてから本人に渡すことにした。

 メイドがルソン島の北端にある山奥に実家を持つ。マニラからバスに揺られて13時間の長旅でようやくたどり着く高原地帯で、夜間は摂氏15度以下に下がり肌寒いほどの気候だそうだ。水道もなく沸かした井戸水をじゃぶじゃぶと体にかけてシャワーになる。電気はかろうじて通っているようだが、インターネットやWiFiには無縁の世界だ。

 都会生活の体質になったメイドは帰郷するたびに毎度のことで、井戸水でお腹を壊し、風邪を引いて戻ってくる。一方、不思議なことにそんな場所で生まれ育った人々は、不便だとか生活苦だとか何ら愚痴をこぼすこともなく、一生を暮らす。彼女はいつも明るい笑顔を見せ、毎日ルーチン作業の家事やペットの世話を来る日も来る日も繰り返す。

 いろいろ聞いたところによると、彼女たちはどうやら宿命というか、それに近い固定観念をもっているらしい。高望みよりも、むしろ外国や都会で働いて稼いだ「大金」を一族に送金し、帰郷する際にたくさんのお土産を持って帰り家族や隣人にばらまくほうが、名誉やステータスになるようだ。

 うちのメイドの実家ではここのところ、日本食が食卓に上って好まれていると聞いた。彼女が日本人家庭で働いて学んだ和食の調理法をフィリピンの田舎に持ち帰った。おにぎりやお餅、海苔、さらに味噌汁はちゃんと出汁取りまでしての本格派。今回の帰国はたくさんの鰹節を持たせた。

 人間の幸せって何だと、フィリピン人メイド、彼女たちを目の当たりにしていつも考えさせられる。彼女たちより何倍も何十倍も何百倍も稼いで財産をもっていても、幸福度は正比例で何倍も何十倍も何百倍も得られるわけでなく、下手をすると、彼女たちに及ばないかもしれない。

 そのメカニズムをもう少し掘り下げてみたい。

<次回>

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