台湾戦争介入で日本人は地獄を見る(4)~日米安保条約も日中共同声明もただの紙くず

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 戦略国際問題研究所(CSIS)の台湾戦争シナリオ(2023年1月9日発表)では、日本が戦争に介入した場合の戦闘機や艦船の損失を具体的な数字で示した。しかし、日本人の犠牲者数は一切公表されていない。

 なぜ?2つの理由がある。理由その1は、死亡者数をみて日本人は躊躇し、引いてしまうからだ。理由その2、日本人が何人死のうとアメリカの知ったことじゃない。日本の負けがはっきりしていたにもかかわらず、広島と長崎に2発、2発もですよ、原爆を落とした国は、アメリカだ。日本人の死者数などは単なる数字にすぎない。昨今のデジタル時代ではなおさらだ。

 アメリカはそんな冷酷無比な国なのか?いいえ、そうではない。それは普通の国だ。どうしても冷酷というのなら、単に日本人がナイーブすぎるからだ。

 それでも、日米安保条約があるのではないか。国際条約は国家間の文書で法的拘束力があるという認識はまず間違っている。契約に法的拘束力があるのは、裁判だけでなく、最終的に強制執行手続によって担保されているからだ。

 国際条約も国際法も強制執行手続を担当する機関が存在しない。あるとすれば、大国による自称正義維持のための暴力、つまり戦争である。日本は能動的に戦争を発動する権利がなく、核も保有していないため、国際条約を破棄されても、救済を求める道はない。言い換えれば、日本はまさに憲法に謳われているように、「平和を愛する諸国民の公正と信義」、他人の道徳や善意に頼って幻の平和を享受しているのだ。

 国際条約は、自国の利益に反していれば、拘束力がない以上、破棄してしかるべきだ。国際政治において、公正や信義は、自国利益が損なわれないことを前提とする。だから、アメリカが特に冷酷ということはない。

 自国の利益が損なわれるとは、どの程度のものか。国際政治における「損益分岐点」を政治家がつねに計算している(日本は例外)。台湾や日本を守るために、アメリカが受け入れられるコストの上限を見極める必要がある。

 米兵数千や数万人が死んで、空母を数隻沈め、戦闘機は数百機撃墜されてもアメリカは日米安保条約を守り、戦ってくれるとでも思っているのか。ましやて、中国が核使用した時点で、アメリカは中国本土に向けて核ミサイルを飛ばし、第三次世界大戦になっても最後まで戦ってくれるとでも思っているのか。

 アメリカの正義は、すべてハリウッド映画に凝集されている。それ以上求めてはいけない。

 日本が台湾戦争に介入し、「1つの中国」政策を放棄する。その性質も同じ、日中共同声明日中平和友好条約の破棄を意味する。述べてきたように自国利益のためなら、国際条約の破棄はあってしかるべきだ。しかし、中国と戦争するのは日本の国益になるのか。あるいは逆に国益の毀損にならないか。議論が必要だ。日本では、この議論がタブーとされている。

 トム・ティファニー米下院議員(共和党)が2023年1月15日、台湾を独立国家として認めるよう米政府に促す決議案を提出した。決議案では、米大統領が時代遅れの「1つの中国」政策を放棄し、台湾が中国に統治されていない、中国領土の一部ではないといった客観的な事実を認める政策を後押しすべきだと訴えた。

 台湾戦争に介入するには、まずは台湾の国家承認が前提だ。日本もまた然り。国際法上、台湾は中国の一部、つまり中華人民共和国の領土になっている。「1つの中国」政策を取りながら、いわゆる「台湾防衛」に踏み切るのは自己矛盾だ。であれば、「1つの中国」政策を否定し、日米が揃って中国と締結した国際条約を破棄する手続きが必要だ。

 国際条約は紙くずだ。他者から破棄されたときの損害、そして自分から破棄した場合の利益、という損得勘定をしっかりしたうえで、紙くずでもとりあえず立派な額縁に入れて飾っておこう。ただ、芸術品であるから、拝んではいけない。

<終わり>

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