原爆記念日に思う、日本人はなぜ加害者のアメリカを好むのか?

 2023年8月6日。78年前の今日、アメリカは30万人の日本人を殺した。

 日本兵が南京事件で30万人の中国人を殺したかどうか定かではないが、アメリカが30万人の日本人を殺したことは紛れもない事実だ。なぜ、日本人はそんな米国を受け入れ、その飼い犬や奴隷になる一方、中国を嫌うのか?おかしくはないのか?

 いや、かしくない。日本人は、強者を恐れ、強者に服従し、さらに加害者の強者に好意や共感が芽生え、信頼や結束の感情まで抱くようになる。まさにストックホルム症候群である。

 黄色人種の頂点に立つ民族と自認する日本人は、「脱亜入欧」から「制欧制米」に切り替えたところ、無残にも原爆を食らって圧勝と惨敗という力の差を見せつけられた。

 一方、同じ黄色人種の中国がいよいよ米国を凌駕しようとすると、日本人はこの事実に心理的拒否感をもち、受け入れられないのだ。日本人が白人に負けた事実よりも、白人が他の黄色人種に負ける事実がより受け入れ難い。その心情的葛藤は理解できる。ルサンチマン、コンプレックスの複合体だ。

 そこで日本は一択の賭けに出たのである。太平洋戦争の敗因に何ら反省もなく、またもや危険の賭けに出た。その賭けに日本が勝てば、米国の飼い犬・奴隷の地位をそのまま維持できる。では、負けた場合は?歴史の検証に委ねるしかない。

 ただ、私個人的にどうしても米中間の一択で選ぶなら、躊躇いなく、中国に賭けるだろう。

 飼い犬についてミクロ的にみてみよう。米国の飼い犬になって、餌をもらっている者は当然、米国のために声を枯らして吠える。しかし、餌どころか、中国に頼って生きている輩までが「反中親米」とはいささか理解に苦しむ。裏切り者の倫理違反ではないだろうか。中国がいう「吃碗砸鍋」――お椀に盛られる飯を食いながら、その飯を炊いた鍋をぶち壊す。それは最低中の最低だ。

 一方、一般の日本人は、米国の飼い犬にはなれない。米国の飼い犬になっている(なれる)のは、日本の為政者ないし政治家一般、特権階級である。つまり上級国民しか飼い犬になれない。親米=保守、という笑うに笑えない概念を植え付けたのは、自民党にほかならない。アメリカはすでに中国を凌駕する超左翼(共産主義2.0)になっていることも知らずに、大方のいわゆる保守は、実はすでにリベラルの左方に行ってしまっている。

 そういう時代である。

【番外編】

 米国の飼い犬の話。その典型は、尹錫悦である。韓国は従来、「親米不反中・反日」あるいは「親中不反米・反日」という二股+反日外交を続けてきた。

 尹錫悦政権がそれを一変させ、「親米・親日・反中」という旗幟鮮明の外交政策に急転換させた。尹錫悦個人にとっては飼い犬の株価急上昇相場という短期的効果があったものの、中長期的に危険な種を撒いたことになる。

 反中に関しては、中国は言うまでもなく、しっかり清算を仕掛けるだろう。では、親日はどうだろうか。反日という普遍的な韓国国民感情は、一朝一夕で変わるものではない。いずれ跳ね返ってくる。それが尹錫悦を刑務所に送り込む原動力になるかもしれない。

 一方、日本はこの際この勢いで、竹島が無理にしても、慰安婦や徴用工問題に決着をつけるべく、米国の立会いの下で何らかの明文署名を手に入れるべきだろう(次の大統領が破棄するかどうかは別問題)。

 尹錫悦が将来どうなろうが、日本人には何の関係もない。義母がすでに実刑判決だから、将来的に一族そろって塀の中で団欒するのも微笑ましい。

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