北海道(6)~サロベツの野の花、無常と無心

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 7月27日(木)、オホーツク沿岸の雄武から日本海側の天塩へ車で移動する途中に、サロベツ原野に立ち寄る。2度目のサロベツ訪問。ここは外国人観光客どころか、日本人客も人影がまばらだ。美しい花草、風と地平線を独占できる、贅沢な場所である。

 7月から8月にかけて、エゾカンゾウ、エゾスカシユリ、トキソウ、モウセンゴケ、エゾノヒツジグサ、サワギキョウ、ジュンサイ、ネジバナ、エゾミソハギ、ノリウツギなど、1年中に一番たくさんの花が咲く時期である。ただ、花音痴の私は、名前と実物が一致しないまま、単に「美しい野の花」として片付けてしまう。

 野の花を愛した真民先生の詩がある――。

 野の花
 わたしが愛するのは
 野の花
 黙って咲き
 黙って散ってゆく
 野の花

 「咲くも無心、散るも無心、花は嘆かず今を生きる」という生き方である。諸行無常の世であるからこそ、無心で生きる。不確実性の時代と言われている。そもそもこれまでに「確定性の時代」があったのか。あったとすれば、それは永遠なる無常、つまり「不確定性の時代」のなかの瞬間だったに違いない。

 「無心」のまま生きるとは、存在もしない確定性を求めず、「無常」を受け入れることだ。黙って咲き、黙って散り、野の花の如く去来する。

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