● 私はなぜ、言論の自由を制限することに反対しないか?
私は、言論の自由を制限することには、必ずしも反対しない。現今の民主主義制度下では、「言論の自由」が存在しても、「思考の責任」が不在のまま、つまり、「権利」が暴走しても、「義務」が伴わないからである。
であれば、権利の制限が必要である。
言論の自由は、現代民主主義の根幹を成す基本権である。誰もが自由に発言できる社会、それは専制や検閲を免れた社会として高く評価されるべき制度である。しかし、言論の自由が「好き勝手に何を言ってもいい」という免罪符に転化されたとき、それはむしろ社会の知的劣化を招きつつある。
言論の自由には、前提がある。それは、「思考する責任」である。すなわち、自由に発言するためには、その発言が何に基づいているのか、誰に影響を与えるのか、どのような論理を含むのか、という一連の思索と内省のプロセスを経る責任である。権利の行使には、常に義務が伴う。とりわけ言論という行為は、他者に作用する力を持つがゆえに、個人の内面における思考と倫理の深度が問われる。
民主主義の危機は、言論の制限ではなく、言論の“軽薄化”によってもたらされる。言葉が思考の裏付けを失い、ラベルや符号、感情による断言が横行すれば、脊髄反応による発言、思考なき言論がもたらす病理である。
自由は、思考によってのみ意味を持つ。思考なき自由は、無秩序であり、無責任であり、やがて全体主義的規制を招く逆説的な帰結をもたらす。
思考を促すといっても、思考力を持たない人、思考を放棄した人には、何を言われようとそれができないのである。確証バイアスがかかっている人たち、愚かな「大衆」には、言論の自由を制限することは必要である。将来的に例えば、AIによる検閲と審査をかけることも考えられる。民主主義の逆行を懸念するよりも、まずは民主主義自体の暴走を止めるブレーキが必要だからである。

● 日本人の資産防衛
先日、中国人の知人との対話の中で、興味深いやりとりがあった。
中「日本人は偉大だ」
私「なぜ?」
中「愛国心が凄い」
私「どうして?」
中「中国人は海外送金が不自由でも、あの手この手で資金を国外に移す。けれど、日本人は送金が自由にもかかわらず、国内にすべての資産を置いている」
私「それがどうかしたの?」
中「日本経済が危ういでしょ。中国人が日本人だったら、とっくに資産を海外に逃がしてるよ」
私「なるほど、それが日本人の愛国心?」
中「愛国心じゃなかったら、まともな判断とは思えない」
私「まあね……」
私は、この中国人の日本観を壊す気にはなれなかった。しかし事実はこうだ。日本国民の金融資産は約2000兆円。この3年間の急速な円安で、そのうち少なくとも3割、つまり500兆円相当が「蒸発」している。中国人にとって、そんな事態にも資産を国内に留め続ける姿勢は、信じがたい現象に映るのだ。
お金の話はさらに続く。別の中国人とのやりとりでは、こう聞かれた。
「立花さんの資産、通貨構成の比率を教えてください」
私は個人的なポートフォリオについてなら構わないと思い、素直に教えた。すると彼は驚いた。
「日本円資産、ほとんど持っていないんですね。見習わなきゃ。うちは人民元を持ちすぎてる」
後日、彼は某国で不動産を購入したと聞いた。
私は4年前、1ドル110円台の頃に個人資産のほぼ全額を外貨に移した。結果として、円安による目減りを避けられた形になる。だが、これは「愛国心がないから」ではなく、単に「合理的判断」だと私は考えている。
日本人の資産の大半が国内にあり続けている現実。それを「愛国心」と呼ぶか、「無関心」と見るか。それは立場や文化によって評価が分かれる。だが、国際環境が激しく変動する時代、資産防衛の視点を持つことは、個人にとっても国家にとっても重要な課題であることは間違いない。
● 「感動や勇気をもらった」と言う愚かさ
スポーツ観戦を通じて「感動や勇気をもらった」と語る者が多いが、これは明らかに愚かである。感動も勇気も本来は自身の内面から湧き上がるものであり、外部から「もらう」ものではない。
仮に外部から「もらえた」としても、その感動や勇気はおそらく数時間、長くても数日しか持続しないだろう。一方で、内面から湧き上がる感動や勇気こそが人間の人生を変え、生涯にわたって影響を与える。スポーツを通じて「感動を与える」「勇気を与える」といったフレーズは、単なるビジネスのキャッチコピーに過ぎず、商業的な目的に利用されているに過ぎない。
ある識者が指摘するように、スポーツ観戦を通じた感動は自己投影に過ぎない。心理学の研究によれば、スポーツ観戦が人々に与える影響は一時的であり、長く持続しないことが明らかになっている。その背景には、以下のような心理的要因がある。
(1) 孤独感解消の欲求
チームや選手を応援することで、他のファンと一体感を持ち、孤独感を埋めようとする。
(2) 自己投影
選手の活躍に自分自身を重ね合わせ、まるで自分が成功したかのような錯覚を得ることで、自己実現の欲求を満たす。
(3) カタルシス効果
日々のストレスや不満を応援や観戦を通じて発散し、一時的な満足感を得る。
スポーツビジネスは、こうした人間の心理を巧みに利用し、巨大な市場を形成している。感動や勇気を「与える」という言葉の裏には、単なる商品としての消費があるに過ぎない。本当に人生を変える感動や勇気は、スポーツ観戦のような受動的な体験ではなく、自らの内面から生み出すものである。




