金庫国家のパラドックス、民主主義という演技装置の自壊構造

● 借金して金庫を買う――高市政権下の日本

 高市首相は、政治を舞台と心得るパフォーマンスの達人である。だが、その演目の中に一つだけ即効性の高いネタがある――防衛費の増額だ。彼女はついに、2027年度に国内総生産(GDP)比2%とする目標を、2年前倒しで2025年度中に達成すると宣言した。国旗損壊罪の立法、対米親密の演出に続き、拍手喝采を呼ぶ三幕目の大立ち回りである。喝采を送る観客席には、いつもの偽保守層が勢揃いしている。

 防衛費を増やす。響きは勇ましい。だが裏にあるのは、いつもの台本――対中強硬論を掲げて米国を喜ばせる外交劇。トランプが笑い、ワシントンが頷く。日本の「防衛強化」とは、米国防産業の株価を上げる祝砲のことだ。日本は払う側、米国は受け取る側。これを「同盟」と呼ぶらしい。

 だが、もし中国との戦争が起これば、国民の多くは弾丸で死ぬのではない。飢えて死ぬ。戦闘よりも物流が止まり、医療が崩壊し、燃料と電力が尽きる。つまり、戦死ではなく餓死。国家安全保障とは兵器の数ではなく、供給網と生活基盤の維持である。そこにこそ防衛投資の本丸があるはずだが、彼女の脚本にはそのシーンがない。

 日本の軍拡は、米国防産業の利益拡大、対米依存の深化、経済安全保障の空洞化、国民生活の脆弱化という、四重苦のパラドックスを孕む。防衛費は増えても、防衛力は増えない。守るべきは国のメンツではなく、国民の命である。ミサイルよりもまず、米・燃料・電力・情報の供給体制を整備すべきだ。

 いまの日本は、こういう国だ――借金して金庫を買う。

 金庫は立派に磨かれ、重厚な扉が付いている。だが中身は空っぽ。しかも鍵は他国が持っている。国民は金庫の厚みを誇り、維持費を払うためにさらに借金を重ねる。そしていつしか、金庫を守るために自分たちの生活を削り始めるこれが「防衛費2%国家」の現実である。立派な金庫を抱え、貧困死するようなものだ。

● 筋肉を鍛えて脂肪を増やす――トランプ政権下のアメリカ

 この構図はアメリカにもそのまま写し鏡のように反映されている。トランプ流の対中貿易戦争は、名ばかりの「アメリカ・ファースト」を象徴する政治的ショーであった。彼は経済を治すのではなく、麻酔を打って拍手を浴びたにすぎない。

 『トランプ流、自滅した対中貿易戦争 「単独・短期・関税」3つの失敗』(2025年10月31日付日本経済新聞ワシントン支局長河浪武史)において河浪氏が指摘する「単独・短期・関税」という三つの誤りは、まさにその演出型政治の本質を暴いている。

 協調を拒み、構造改革を放棄し、単一手段で国際構造を動かそうとしたこの戦略は、経済政策ではなく選挙演目であった。関税は産業を守る手段ではなく、労働者層への心理的報酬であり、怒れる民衆の感情を即座に満たすための政治的消費財であった。だが、その副作用は致命的である。関税は生産性を高めるどころか、サプライチェーンを分断し、コストを膨張させ、結果として米国企業は競争力を失い、国家は短期的な膨張の代償として長期的自立を失った。筋肉を鍛えたつもりで脂肪を増やした国家、それがいまのアメリカである。

● 民主主義の病理

 民主主義の投票制度は、本来民意の表現であるはずが、現代では感情の換金装置に変質している。選挙は理性の場ではなく、情動の市場であり、政治家は政策よりも演出を競う。トランプは怒りを演じ、高市は正義を演じ、バイデンは安定を演じる。国民はそれを政策選択ではなくキャスティング投票として受け止める。

 つまり、民主主義社会とは政治家を選ぶ制度ではなく、物語の登場人物を選ぶ制度に堕している。ここで政治は「政策」ではなく「演技」となり、国家運営は感情劇場に転化する。

 この構造の致命的な問題は、民主主義が時間に逆らえないことである。投票は即効性を報酬し、長期的成果を罰する。国民は五年後に効く薬よりも、今すぐ痛みを取る麻酔薬に票を投じる。ゆえに政治家は制度改革ではなく、短期的演出と補助金とパフォーマンスに資源を注ぐ。民主主義は自らの成功条件である「民意の反映」によって自壊するのである。構造改革を怠った結果、政治は思考を放棄し、国家は現実よりも物語を優先する。

 いまや日本もアメリカも、同じ金庫国家の系譜にある。「防衛」や「貿易」という言葉が国家の正当性を装う仮面となり、内部の空虚を覆い隠す。国家は演出の厚みを誇りながら、構造の骨を失っていく。トランプの敗北はアメリカの敗北ではない。民主主義そのものの敗北である。民衆は主権者であると同時に観客であり、観客は演出のうまい支配者を選ぶ。

 こうして、民主主義は独裁よりも合法的に堕落し、拍手と空の金庫だけが残る。国家が自らの腐敗を演じながら喝采を浴びる――それが二十一世紀の民主主義の現実である。

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