太極旗への一礼、偽保守高市は二刀流政治の演技者

 高市早苗首相の政治手法は、「現実路線と演技の二刀流」である。

 慶州での太極旗への一礼は、まさに高市早苗という政治家の二刀流を象徴する所作である。彼女が今その一礼をしても、国内のいわゆる「偽保守」は決して叩かないだろう。むしろ「外交戦略」「懐の深さ」などと称賛し、自らの信条の矛盾に目をつむるはずである。ゆえに「偽保守」と呼ぶにふさわしい。

 真の保守とは、国家の尊厳と原理を守る立場に立ち、権力者であろうと理念から逸脱すれば批判するものである。しかし日本の保守派は、理念よりも人物に忠誠を誓い、政治的便宜に応じて旗を振り替える。

 高市首相が韓国で頭を下げれば「現実主義」と称え、中国に強い言葉を放てば「毅然」と喝采する。つまり、信念はなく、状況の風向きに従って評価を変えるだけの群衆心理にすぎない。

 高市氏は、その心理を熟知している。だからこそ、どの演出も批判されない範囲で計算し尽くされている。保守層が「外交戦略」と呼ぶその瞬間、すでに彼女は「保守」を超えて、政治的演技者として群衆の情動を操っているのである。

 この構図において、最も空洞化しているのは理念そのものだ。偽保守は信念を語るが、信念に立たない。彼らは思想を守るのではなく、権力の表情を守る。ゆえに太極旗への一礼を批判しないことこそ、保守の死であり、演出政治の完成形である。

 彼女は国内では保守的イデオロギーを掲げ、靖国参拝や改憲推進などによって支持基盤を固めつつも、国外では柔和な表情と礼節を駆使し、外交の舞台で印象操作を行う。すなわち、高市氏は「保守の女王」と「微笑外交の演出者」という二つの顔を自在に切り替える政治家である。

 この二面性は、一見すれば矛盾しているようで、実際には現代政治におけるきわめて合理的な生存戦略である。政治が理念や政策の一貫性よりも、印象・空気・感情によって動く時代にあって、高市氏はその文法を本能的に理解している。彼女の笑顔や所作は、政策論争を超えた心理的操作の一環であり、国際関係における敵意や不信を瞬間的に中和する力をもつ。

 しかし同時に、その「演出の恒久化」は、政治の真実性を蝕む危険をはらむ。演出が信念を凌駕し、舞台が現実を置き換えるとき、政治は虚構化する。高市首相の微笑みが国際社会において有効であっても、国内においてはその笑顔が「作られたもの」として次第に透けて見える瞬間が訪れるだろう。

 ゆえに、高市早苗という政治家は、信念の人ではなく、演出の人である。その二刀流こそが彼女の強みであり、同時に最も脆弱な部分でもある。

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