11月28日(水)から2日間、ハイフォンの日系企業N社でベトナム人マネージャー研修。ベトナム人研修は講師にとって一種の格闘である。とにかく体力と忍耐力が要る。
これは決してN社だけの問題ではなく、各社のベトナム人従業員・マネージャーに共通する問題だ――。「問題とは何か」と聞かれても、大方はまっすぐ答えずに迂回して逃げるのである。
「会社経営上の問題点を挙げなさい」
「コストを削減しなければなりません」
「違う、問題点を聞いているのです」
「ですから、コストを削減しなければなりません」
「聞き方を変えましょう。では、なぜコスト削減が必要ですか」
「コストが高いからです」
「そうですよ。だから、問題点は『コストが高い』です」
「え~、まあ~、それは・・・」
ネガティブな表現を極力避けるのは、「責任」次元の話に触れたくないからだ。日本企業は全般的に、成功によるインセンティブよりも、失敗によるペナルティを先行させるため、従業員はとにかく責任逃避の強化に徹する。問題点を堂々と掲示して、根源をつまみ出す作業を嫌がる。これはある意味で企業側にも「責任」がある。
ロジカルシンキングの基本は、問題を明示し、問題の原因・根源を全面的に突き止め、本質的な部分をえぐり出し、優先順位を付けて解決法を講じるというところにある。しかし、解決法先行、結果ありきの課題取り組みでは往々にして本末転倒だったり、目的と手段の倒錯だったりする。
では、質問を変えよう――。
「あなたの家庭では、今、一番の問題点は何でしょうか」
「収入が足りません」(日本人よりは率直)
「そうだよね、それが問題点」
自身の利益にかかわってくると、瞬時に問題点の特定ができるのではないか。単純明快。私の研修には、随所、個益と社益にかかわる同質の設問が用意されている。それは言ってみれば、「意地悪な」シチュエーション・テストである。いざある特定の場面におかれたときに人間は無意識に本音を吐くのである。
所属会社や組織のリアルな話題、特に私益にも関わるセンシティブな話題になると、誰もが猫を被るからだ。