金子光晴の日本料理店構想、美食の都パリで成功するのか?

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 私は文学に興味が薄い。詩や小説たる読み物は全く手にしない砂漠の駱駝だ。故に、詩人金子光晴のこともほとんど知らない。バトゥパハにやってきて、「詩人の足跡を追う」類の美辞麗句で如何に飾っても、中身は変わらない。ただ、文学の代わりに、別の興味はいろいろ持っていた。

 まず1つ目、食。金子光晴と食の関係ほど薄いものはなかろう。金子全集を読破していない私は、ネット検索に頼らざるを得ない。幸運なことに、バトゥパハ滞在を記述する金子の『マレー蘭印紀行』にこうした一節が見つかった――。

 「南洋の部落のどこのはずれへいってもみうけられる支那人の珈琲店がこの河岸の軒廊のはずれにもあった。その店に坐って私は、毎朝、芭蕉ピーサン二本と、ざらめ砂糖と牛酪バタをぬったロッテ(麺麭)一片、珈琲一杯の簡単な朝の食事をとることにきめていた。これらの珈琲店は、支那本土の茶舗の役目をしていて、休息して汗をぬぐうたり、人を待って商談をしたりするのに利用されている」

 これは面白い。金子が滞在していた旧日本人クラブの建物の1階に「珈琲店」があったので、とりあえず朝食を取りに入ってみる。軒廊(カキ・ルマ)であるけれど、「河岸の軒廊のはずれ」に位置するわけでなく、金子が通った店ではないのは確実だが、中国語漢字の表記がちゃんとあって華人の経営による同類の店であることはまず間違いないだろう。

バトゥパハ旧日本人クラブ建物の1階にある「珈琲店」

 ロッテ一片、珈琲一杯と、「金子メニュー」の一部を注文する。さすがに「ざらめ砂糖と牛酪バタ」は健康上の理由で遠慮させてもらったが、それでもいささか金子気分になれよう。実はこの「金子メニュー」は店の公式メニューに載っていない。頼めばどこの店も出してくれるというもっとも安価でポピュラーなメニューだからだ。と、現地の友人に教えられた。なるほど納得。

ロッテと珈琲の「金子メニュー」

 華人経営の「珈琲店」では、基本的に麺類を中心にメニューを組んでいる。細麺や太麺、ビーフンなど麺の種類、ソース炒めやスープ、ドライといった調理の仕方、さらにトッピングの組み合わせによって、実は自由自在に数十種類の異なる味を楽しめるのだ。金子はよくも毎日ロッテ・珈琲セットを食べ続けても飽きないものだとさえ思えてしまう。彼が毎朝この単調な「金子メニュー」に決め込んだ理由は何だったのだろうか。保守的な味覚の持ち主か、それとも倹約志向という経済的事情なのか、知る由もない。

華人経営「珈琲店」の多彩な麺メニュー

 「これらの珈琲店は、支那本土の茶舗の役目をしていて、休息して汗をぬぐうたり、人を待って商談をしたりするのに利用されている」という金子の記述もそのまま、何ら変わりもなく今日もみられる。中国南方発祥の茶舗はいま「茶餐庁」という少々現代風の名前が使われているが、基本的に原形にとどまっている。特にマレー半島という南洋の地においては、伝統が頑固なほど伝承されている。

「茶舗、休息や商談に利用されている」

 金子はもし予算が十分で麺類にも興味があっていろいろ食べたとすれば、どのような描写が残されたのだろうかと。私は妄想を膨らませた。

 金子光晴は放浪の旅を続け、ついにフランスに到着する。1930年からの1年余り、パリに滞在する間に、美食家といえない金子はなぜか、美食の都パリで日本料理店の開業構想を打ち出したのだった。

 「この中の『日本式の一膳めし』の計画というのは、画家の辻元廣が持ちこんだ話が発端だった。辻はフランスへ来る前に、半年ほど京都で本筋の板前の修業を積んできたといい、森三千代と再会してパリ13区のポール・オルレアンの貸しアパルトマンに住んでいた金子の許へ、本格的なちらし寿司をつくって持ってきてくれた。材料はヨーロッパにはない紅生姜、そぼろ、高野豆腐、干瓢などで、大抵の品はマドレーヌにある日本食品の店にあるが、手に入らないものはマルセイユか、ベルギーのアントワープの船舶賄いの業者に頼みこんで、日本船の厨夫長から調達したものだという」(注:森三千代=金子の妻)

 「辻は、『牡丹屋など、あんな料理とも言えん料理で法外な金をとって、あれでは、日本料理もわややで。フランス人はもともと、日本料理のほんまの味知らせたら、すぐ病みつきになるにきまってる。牡丹屋のとかしけない料理食うたら、二度と食いたいとは言わんわ。うちのアメリカの婆さん。わしのつくってやる料理の味おぼえて、わしがいなくなったら、食えんようになる言うて、出てゆきはせんかとはらはらしていよる』と言った。彼は絵では食えないので、アメリカ人の老婦人の家に住み込んで、料理を作ったり雑用をしたりして生活していたのである。」(『ねむれ巴里』より)

 本当に驚いた。昔も今も変わらない。こういう日本人がどの時代にもいるものだ。「牡丹屋」というパリの日本料理店はどうだったか知らないが、「料理とも言えん料理で法外な金をとって」いたことは少なくともビジネスが成り立っていたことを示唆している。そもそもフランス人が「日本料理のほんまの味」を知る必要があったのか。

 世界の日本料理店「NOBU」とは何となく重なってみえる。正直「NOBU」の料理は日本料理といえない代物だ。だが、ビジネスが成り立っていて世界に展開した。日本料理といえば、「吉兆」と「NOBU」どっちの知名度が高いか各国で調査してみたいものだ。日本人の「本物志向」はあくまでも自分にとっての本物でしかない。

 ヨーロッパにない食材を輸入したり特別なルートで調達したりすることはよろしいが、コストがかかる。結局のところ、「日本式の一膳めし」屋も法外な金を取らざるを得なくなる。同じ法外な金なら、豪華丼屋よりもまだ「牡丹屋」のほうが金持ちフランス人に売れそうな気がしなくもない。日本発の「文化発信」、画家や詩人、いわゆる文化人になればなるほどそこに熱が入るかもしれないが、経営失敗したら、誰が責任を取るのか。所詮「他人の褌で相撲を取る」の世界だったら何もいえない。

 結局は「日本式の一膳めし」屋計画は不発に終わった。それで誰にも損害が出ずに美しい夢で終わったのは本当に良かった。そういえば、バトゥパハの支那人珈琲店がまさに「中華式の一膳めし」屋の形態だったのではないか。中華式の珈琲店はなぜ100年以上の年月が経っても今なお健在か。市場メカニズムとマーティングの本質、金子もロッテ・珈琲セットを食べ続けずに多様なメニューを口にしたら、これらを理解できたのかもしれない。

 文人墨客の理想社会が美しい。しかしそれは実在しない。「ユートピア」という言葉は、ギリシア語の「無」と「場所」に「良い」という接頭語を冠してできた言葉「素晴らしく良い場所であるがどこにもない場所」である。

<次回>

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