在籍出向、日本デッカプリングのすすめ

 人類という動物はもともと、他の動物と同じように、奪いあい、殺し合いをする。法律の存在しない自然界では、犯罪も存在しない。略奪も殺戮も問題にならない。ただ、自分がやられないように自己防衛だけはしっかりする必要がある。

 やがて、人類は、個体による防衛にはコストがかかりすぎるし、老いが死を意味することに気付く。そこで共同体を組み、共同体に防衛の義務を負わせる。共同体に所属する個体構成員は、守られる権利を享受する一方、相応の義務を果たすことで共同体契約を締結する。その義務は大きく2つ分けられる。防衛費用の分担と自由に対する制限を受け入れることだ。

 共同体はだんだんと規模が大きくなり、共同体と共同体が新たに大きな共同体を結成し、ついに国家が誕生する。だから、国家の第一義的役割は、安全保障なのである。

 しかし、国家の権力はこれもだんだんと大きくなり、広い範囲に及ぶようになる。あらゆる組織に利権が付きまとう。国家組織も然り。規模の肥大化で利益も肥大化する。言い訳は、簡単だ。「安全」という「サービス」をより広い範囲で提供し、共同体構成員により大きな「安心」を与えると。ご立派、反論の余地はない。

 警備会社は業務多角化し、本来は警備と泥棒の撃退だけだったが、知らないうちに住民の仕事や生活、資産管理まで口出しするようになる。想像してみてください。

 これが、「安全安心」の原点なのだ。日本人は「安全安心」がタダだと勘違いしているが、実はそのためにいちばんたくさんのお金を払わされているのだ。しかも、日本という国は面白いことに、警備会社の本業である警備業務をなんと外注してしまうのである。要するに構成員はサービス料は払っているが、警備による安全も安心も得られていないわけだ。

 こういう共同体との賢い付き合い方はあるかというと、ある――在籍出向

 籍以外の実質的関係を薄くし、デカップリングすることだ。つまり、安全サービスについては、(身の安全)別途外注するか、一部(雇用や老後の保障)自給自足する。

 私の場合は、マレーシアに住み、マレーシアに生活費を落とし、その代りにマレーシアという共同体から安全サービスを提供してもらっている。もちろん、正式構成員(国民)ではないので、選挙権はない。しかし、いちばん大切な身の安全については、マレーシア国民と同一レベルのサービスを享受できるのだ。

 そのうえ、雇用や老後の保障は、自分の仕事で自給自足すれば、安心だ。これが「在籍出向」の醍醐味であり、本物の安心といえる。要するに日本という共同体がどうなろうと、個人や家族ベースでは、日本国内の銀行にある円預金以外に、ほぼ懸念事項は皆無だ。円預金も状況次第で、数日あるいはわずか数時間で海外へ移出することが可能だ。心配はいらない。

 もちろん、私は、所属(在籍)する共同体、祖国日本を愛している。出向しているからといって、その気持ちは何ら変わらない。むしろ、経済的な利害関係から脱却しているだけに、私利抜きに国益ベースで祖国を俯瞰することができる。俗に言うと、しがらみがない。

 であるから、脱日本リモート国民になるのが1つの選択肢ではないかと思う。

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