上海(15)~「桜の散り方」、中国での出版計画

<前回>

 中国で出版したい。上海出張中に友人の紹介で某大手出版社の編集長と企画打ち合わせを行った。

 『醜い日本人』という本を書こうと、私は本気で考えていた。紹介役の友人もかつて某大手経済紙の編集委員を務めたプロで、これは間違いなく売れるだろうと太鼓判を押してくれた。

上海の歴史的建造物~錦江飯店北楼

 しかし、編集長は全体的に前向きだが、いささか難色も示した。「見出しは過激すぎないか」と。予想外だった。私は中国人読者に迎合しようとその見出しにしたわけではない。本意を説明したところ、編集長は概ね納得したものの、懸念を打ち明けてくれた。「中日関係は元々デリケートで、今このセンシティブな時代に、外交問題に発展しないか」と。
 
 中国はすでに大国になった。大国にはそれなりの矜持と品格が必要だ。私がその本を書くと、まるで中国が日本人を買収してプロパガンダを行っているように世間に思われるかもしれないからだ。確かにそのリスクは存在する。いや、ほぼ確実だろう。事実が違って、私がいくら自分の意思で書いたと主張しても、おそらく汚名を着せられるだろう。

上海・淮海中路にある三聯書店

 見出しを含めて、構成や表現の形態に少し工夫を凝らしてみようという結論に達した。中国現在の出版事情にまったく予備知識をもたない自分はまず読者や市場を知ることから始めようと、編集長に尋ねたら、「淮海中路にある三聯書店、小規模でも、上品な書店だ」と推薦してくれた。

上海・三聯書店の店内

 早速、三聯書店に足を運ぶ。香港や台湾系の書籍も日本や欧米の翻訳書も所狭しと並んでいる。何冊か手に取って立ち読みしてみると、なるほどと一瞬ひらめいた。編集長が言っていた「品位」とはどういうことか、わかったような気がする。リアルな政治・社会の内容も芸術的に表現し、美意識をもつ必要がある。

 日本の衰退・没落は欧州のポルトガルと似ていて、美しく衰弱していくパターンである。――かつて私は記事にこう書いたことがあった。「醜い日本人」とは、衰退する自国に憤りをぶつけ、フラストレーションの発露ではあるが、日本人の普遍的な感覚にずれがあることは否めない。

 自身の弱体化を独自の倫理観や美学で正当化することを、私の価値観では「醜」と捉えている。しかし一方、あえて当事者目線で真逆の表現にすることもできよう。ならば、これだ――「桜の散り方」。ニーチェいわく「『 真実』など存在しない、あるのは『解釈』のみである」。まさにこのことを言っている。

 桜の散り方――中国人はかつて日本人の成功に学んだが、今は日本人の失敗から学ばなければならない。

<終わり>

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