● 「チャイナ人」は蔑称
SNSに中国人のことを「チャイナ人」と称する投稿者がいる。「チャイナ人」という名称は、蔑称である。マレーシアをはじめ東南アジアでは、「Chinese(チャイニーズ)」は、中国人・華人という意味の中性的表現だ。「China Man(チャイナ人)」は蔑称である。かなり暗黙のルールの下で運用されているので、広く公知された話ではない。
さらに「中国」を「チャイナ」に意図的に読み替える人もいる。「エア・チャイナ」などの企業やブランド名なら問題はないが、単独名称の場合、意図が問われよう。「チャイナ」という英語は「磁器」を意味する場面がある。日本語を公用語とする場合、「中国」という漢字表記があり、日本政府やメディアの標準用語にもなっている。
あえて標準用語の「中国」を回避して「チャイナ」で表現する。何か特別な意図があるか問われよう。私は中国が決して好きではない。ただ小手先の符号を使って蔑んでも結局自己卑下にしかならない。敵を尊重し、敵に学び、敵に勝つ。というのが紳士的で高貴な人格の持ち主の為すべきことではないか。
SNSでもそうだが、中国を罵る人が多い。敵を罵るほど馬鹿なことはない。敵に打ち勝てない証拠だ。ニーチェ曰く「力で世界を変えられない人間は、解釈で世界を変えようとする」。敵を打倒できないから、罵倒するわけだ。負け犬の遠吠えでは、敵を倒せない。逆に自分の無力さと愚を曝け出すだけだ。
敵は、罵倒するのでなく、打倒するのである。
● 高貴になれ!
昨今「高貴さ」がほとんど語られない。高貴さとは、勝てると自信満々な者が人の上に立つことができても、下位者や敗者ないし敵に謙虚や配慮の姿勢を示すことだ。そんな高貴さが失われら、民族の終末だ。強さがあってそれが美しさに転じたところで民族の永生を意味する。強い民族なら「アンチ」を恐れない。自浄と進化を繰り返し、自己強化する。
● 「愛国心」と「反日」
愛国心とは、自国の病や問題を認識し、批判し、反省し、是正そして強化を図る心だと思っている。私は職業柄、顧客にやっていることも全く同じだ――問題発見、是正、組織強化だ。
日本を批判する人に反日レッテルを貼り、人格攻撃する。よく見られる事象だ。百歩譲ってたとえ「反日」であっても、強い日本なら、何も恐ることはあるまい。正々堂々と戦っていけばいい。事実を捏造しない、意見を述べ、論理的な議論を展開する。――弁論の基本である。それができない。相手に人格攻撃を仕掛けた時点でもう負けを自ら認めたも同然。
日本は何でも素晴らしい、と絶賛するだけでは国家が良くならない。これだけ簡単なことは誰でもわかる。そして私が述べてきたことを「反日」とし罵るだけで、日本は良くなるのだろうか?
日本は、酷く病んでいる美人だ。しかし、その病の話をすると、「お前は美人に向かって何てことを言うんだ、反日だ」という自称愛国者たちが罵り、憤る。
「美」は価値判断で、「病」は事実判断(認識)。異なる判断を同一次元で議論することができない。「病」を認めないと、「診」も「療」もできない。その先に待っているのは「弱」と「亡」である。中国語に「紅顔薄命」という成語がある。要は「美人薄命」。日本には当てはまってほしくないけれど。
● 日本人の妬み
「多くの日本人の対中感情は、妬み」。――ある方のコメントの通りだ。妬みは、不健康な感情であり、自分の成長を阻み、自分を不幸にする原因である。妬みから、相手の足を引っ張る。問題は、相手に依存しながら相手の足を引っ張ることすらできない。すると罵るだけだ。
ただし、罵倒するには、論理性が必要。論理的な罵り方でないと、相手を倒すどころか、自分がまず倒れてしまう。美学的にも心理的にも、あまり良くない。
日本人の対中「妬み」感情。その原因は、個人が国家に自己投影することにある。多くの日本人が、昔に比べて生活が不安定、悪化した。その原因を外在化し、転嫁先が必要だからだ。政治家は自分で選んだ者だから、中国が転嫁先になる。
ウイグル人の強制労働や人権問題で日本人の生活が悪化したのだろうか。いや、逆だ。諸般の労働酷使で安い製品を輸出し、日本人消費者がその受益者だ。中国が西側の人権社会になれば、日本人の生活コストはどんどんアップするだろう。耐えられるのか?
台湾有事は日本有事。日本人は台湾のため血を流して戦う覚悟ができているのか?麻生太郎氏が台湾訪問(2023年8月7~9日)の際に「戦う覚悟」と偉そうに演説するが、主語が抜けているのだ。堂々と言えるのか?「日本人は戦う覚悟ができている、台湾のために日本人は血を流す」と。
実利となれば、すぐに引っ込む。イスラム原理主義者は、体に爆弾を巻き付けて自分も死ぬのだ。テロは悪だが、戦うだけでなく、死ぬ覚悟もできている。それが原理主義だ。日本人は「聡明」だ。頭が反中でも、財布は親中。流血などは論外だ。「神風」は昔話。靖國神社で会おうとする昔の日本人は「本物」だったけれど。
この通り、今の日本人は、単なる「妬み」だ。中国サプライチェーンのボイコットもしなければ、台湾のために戦ったりもしない。せいぜい口先の罵り、ガス抜きだけ。
● 日本は中国に臣服しない
ほぼ10年前の2014年当時、「日本新華僑報」総編集長・氏が執筆記事『日本は何時になったら中国に臣服するか?』を自身のブログに掲載した。その一部抜粋和訳を共有する――。
「日中の関係は、2000年の友好、50年の対立。『2000年の友好』は『中強日弱』の力関係の下で維持されてきたのであった。1894年の日清戦争は、中日の国力の逆転のシンボルと考えてよい。それからは中日間の戦争状態がずっと続き、ようやく1945年の第二次世界大戦の終戦をもって終結した」
「2013年末現在、中国のGDPは概ね日本の2倍に相当し、『中強日弱』の時代が再び訪れた。では、『2000年の友好』は再度盛り上がるのだろうか。『中強日弱』時代、日本は中国に臣服するのだろうか。2010年中日の国力逆転前後を境に、両国の各分野における対立が一気に爆発した。これから、『中強日弱』の状態が更なる強固なものとなり、陣痛を経て中日関係は平和な将来を迎えることになろう。多くの日本人が中国との付き合いで確実に利益を得さえすれば、両国の関係は発展し、日本はますます中国に臣服するだろう」(以上訳文)
蒋豊氏の予測の方向性は概ね正しい。ただ、「『中強日弱』の状態がさらに強まり、多くの日本人が中国との付き合いで確実に利益を得さえすれば、日本は中国に臣服するだろう」のくだり、甘すぎるよりも、見間違えた。今の日本は中国から利益を得ても中国に臣服していない。
蒋氏は、中国人の常識や目線で物事を捉え、日本人の「妬み」の感情を見落としている。日本は、対中関係において50年の対立で一度立場逆転し「日強中弱」を体験してしまうと、二度と再逆転して「中強日弱」への回帰を認めたくなくなる。その事実は、受け入れ難いものだ。
今、多くの日本人は、「中強日弱」という事実認識から逃げ、「中悪日善」という価値判断にすり替えている。それが本質だ。そして、何よりも米国がこれを利用して日本を中国と戦う最前線に立たせようとしている。太平洋戦争は日本人は祖国のために戦った。これから戦いがあるとすれば、日本人は米国のために戦うことになる。犠牲者は靖国でなく、アーリントン国立墓地に埋葬されるべきだろう。
繰り返す、妬みの感情を利用されて他人のために戦うことだ。