アンチされる国家とコピーされる商品

 少し前、私の日本批判SNS投稿に、「いやだったら、日本から出ていけ」という叱りをいただいた。私は30年も前に、日本から出て行ったのだけれど。

 批判者をすぐに「反日」扱いし、排除する。「日本はすごい」という同調者だけを集めれば、国家が強くなるなら、世の中にはもう弱国なし。幼稚すぎる。だから、日本は弱ってしまう。そのうち、誰もが批判しなくなる、そういう国になっていく。批判にも値しない国になっていくだろう。

 最近、なぜ中国民間の反日言論が減ったかというと、まさに「アンチ」に値しない国に日本が転落しつつあるからだ。国家が強ければ、アンチされる。商品が強ければ、コピーされる。この原理、わからないのか?

 一方、SNSをみると、「シナ」の漢字を、「死」や「屍」「那」に置き換えたりする人が散見される。「シナ」が中国の蔑称かどうか別として、意図的に非正式名称を使うこと自体がある種の「符号」であり、ある種の意思表示としか思えない。

 相手を蔑むだけで相手が弱くなり、滅びるならば、罵声によるプロパガンダ戦争を仕掛ける価値は大いにあるだろう。残念ながら、そうはならない。せいぜい罵るほうの弱さ、品位・品格の低さを顕わにするくらいの効果しか得られない。

 いわゆる保守右派にはそうした人が多い。特定の用語や表現といった「符号」を使い、自分の属性を示す。負け犬の遠吠えによって同調や連帯を強化すれば、鬱憤晴らしとガス抜き効果の向上にはつながるだろうが、しかし世界は一寸たりとも変わらない。

 保守の源流や真義を理解すらできていない輩である。

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