台湾(9)~花蓮の地に溶け込んだセピア色の「日本」、文化浸透の効用

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 花蓮の旅。昼食は、「西村の家」で取る。路地裏にひっそりと佇む古い日本建築、古民家風の邸宅レストラン(食堂)は、日本統治時代に遡って、もともと日本人西村氏の家だった。台湾人がこの家を引き継いだ後も、「西村の家」と名付け、現在は食堂として運営している。

 料理はなぜか和食でなく、B級台湾料理である。いや、それがまたいい。台湾に根差した日本の香りというよりも、日台文化の二者が絶妙に溶け合い、日常的な自然体と化したハーモニーがひしひしと伝わってくる。

台式滷味小吃

 ビールやお酒とともに、台式滷味小吃(ルーウェイショーツー)をつまむのが粋だ。「滷(ルー)」という日本人には馴染みのない漢字だが、中国語で概ね「煮込む」という意味だ。正確に言うと薬膳やハーブの入った醤油ベースのスープでさまざまな食材を煮込んだ台湾風おでん料理のこと。半熟卵付きの肉臊飯(ローツォーファン)(滷肉飯)もまた必ず食べておきたい一品だ。

肉臊飯(滷肉飯)

 花蓮には日本人移民村として有名な吉安郷(旧・吉野村)がある。吉野村という名前は、徳島県の吉野川流域の出身者が多かったことから付けられた。1917年(大正6年)、その吉野村に本尊の弘法大師像などを日本から取り寄せ、真言宗高野派の「吉野布教所」が建てられ、後日の「吉安慶修院」になった。

吉安慶修院

 当時、花蓮には相当大きな日本人コミュニティがあって、日本文化も現地によく浸透していた。しかし、日本の敗戦とともにすべてがフェイドアウトし、単なるセピア色の断片になってしまった。一方これと対照的に、アングロサクソンは植民地から引き揚げながらも、英語とともに白人文化をしっかり世界の主流として定着させることに成功した。

 いわゆる普遍的な価値観などは、結局のところ白人が定義したものにすぎず、思考力をもたないまま猿真似していると、単に見下されるだけ。

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